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COSMOSの原発関連ニュースメモ

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毎日たくさん流れてくる原発関係のニュースの個人的なメモです。

NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後篇)「そして"安全神話"は生まれた」文字起こし(3)



【テロップ】:伊方原発 核燃料搬入 1976年8月

【解説】:伊方原発では着々と建設が進んでいました。1976年には最初の核燃料が搬入されます。1号炉に続く2号炉の設置許可に対し、住民は不服審査を申し立てました。

【画面】:「行政不服審査にもとづく口頭陳述 13:30-16:00」と書かれた裁判所の標識

[異議申し立てする反対住民の発言]:「事故が起こるは解っちょるのに、我々地元の住民は事故が起きたときは、どないして避難するんか、それを教えて欲しいです・・」

[科学技術庁職員の答弁]:「皆さんが避難をしなければならないような事故は、まず、社会通念的に言えば無い、ということです」

[異議申し立ての反対住民の発言]:(会場から一斉に)「何を言うとるんじゃ・・何が社会通念じゃ・・!」(ヤジと抗議の怒号)

[異議申し立てする反対住民の発言]:「絶対に安全であるということでなければですね、許可すべきものでは無いんではないですか?」

[科学技術庁職員の答弁]:「地元住民の納得が無くては許可出来ない、というような仕組みにはなっていないんです。これは申請がありますと、我々はそれを、法律に基づきまして審査すると言う立場にございますので・・」

[異議申し立てする反対住民の発言]:「もし今の言い方だったら、四国電力は手続きをしたからやりましたが、住民の皆さんのことは知りません・・ということになってしまうんだよ」

[科学技術庁職員の答弁]:「まぁ、申し訳ないですけど、もう時間ですから」

[異議申し立てする反対住民の発言]:(一斉に抗議と避難の怒号)




【画面】:「2号炉岩盤試掘調査」と書かれた看板

【解説】:住民の訴えは却下。2号炉建設は始まりました。この頃、全国の電力会社で作る電気事業連合会は、原発の理解、促進を図るPR活動に力を入れるようになっていました。

【画面】:「原子炉がもしも事故を起こしたとしたら原子力発電所とその周辺はどうなる・・」「原子力発電所から海へ出る放射能はどんな影響を与えるでしょうか」「原子力発電所の安全設計はどこまで信頼できるのでしょうか」
等のタイトルの付いた全国紙掲載の(意見)広告

【解説】:これは全国紙に掲載された広告です。紙面には専門家たちが次々に登場。原子力の可能性、そして安全性を説いていました。

【テロップ】:当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉さん

[当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉]:「新聞の広告っていうのは、彼らには非常に良い収入源だったからね。こぞって、こじ開けてねぇ・・我が社にも、我が社にもっていうふうに言って来られたんで・・・。だから、そういうことから、あの・・各新聞社の人もですねぇ、そんなに、あの・・(原発の安全性に疑問を抱くような)そんなに厳しい記事っていうのは、(新聞各社も)書かれなかったんじゃぁないかなぁ・・」[◆註:19]

[◆註:19]大手全国紙の新聞各社も、広告収入(カネ儲け)優先に走り、原発を推進する電力会社の「露払い」を果たす形で「世論誘導」の役割を担ったことが解るであろう。

【解説】:伊方原発に反対してきた住民たちは、徐々に焦燥感を深めていきました。原告の一人、近藤誠さん。原発反対に対する世間の眼差しが変わっていった、と言います。[◆註:20]

[◆註:20]CIAに正力松太郎を推薦した「プロパガンダの雄」カール・ムント米上院議員や、正力松太郎の懐刀と称された柴田秀利、かれらと連動していたアメリカ中央情報局(CIA)が、1950年代に、既に見抜いていた「日本の新聞とテレビ・ネットワークを最大限用いた、原発推進のための最も効果的な啓蒙プロパガンダ」が見事に効果を見せ始めた。
(NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」参照)
 我が国の一般市民、国民大衆が、その筋の「権威ある」(と思われているに過ぎない)情報に振り回され、流されてしまう傾向があるのは問題。自分自身の頭で、主体的・自主的に、現象の根底にまで遡って思考する力の希薄さをいかにして克服していくかは大きな課題。

【テロップ】:伊方原発訴訟原告 近藤誠さん
[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「あの・・本当に、当時、『そういった農民、漁民ごときが何を言うか』だとか、あるいは、『地域エゴだ・・』とか、『日本中のエネルギーのことも考えずに、これからは原子力の時代なのに、それに棹さす愚かな者たちだ・・』ということで、何処へ行っても跳ねつけられてしまう。住民が話し合いを求めても、その話し合いそのものが拒否されてしまう」

[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「そういう中でね、やはり、賛成だという人間と、反対だという人間の意見を、公平に叩き合わせることが出来る場所というものがね、当時(は)、やっぱり裁判しかないんじゃないかと・・」

【テロップ】:伊方原発 活断層

【画面】:関西以西の日本地図と伊方原発の位置を示す白丸。大阪平野から九州天草諸島付近にまで伸びる黄色線の「中央構造線」。この黄色い線は佐田岬と重なり、その中央部に伊方町[旧三崎町]が位置している

【解説】:提訴から3年、伊方裁判では大地震の可能性についても議論が及びました。この頃、地震の原因となる活断層の存在が注目されるようになっていました。伊方原発の近くには巨大な活断層、中央構造線が走っています。

【画面】:「四国電力(株)伊方発電所の原子炉の設置に係る安全性について 昭和47年11月17日 原子炉安全専門審査会」の表題の冊子

【解説】:これは伊方原発の設置に当たり、国の安全専門審査会が作成した報告書です。
1.3 地震
 過去約1,200年の記録によると、伊方地点周辺に影響をおよぼす地震として、豊後水道および伊予灘を震源とするタイプ-Aの地震と日向灘沖および安芸灘を震源とするタイプ-Bの地震に大別される。
 このうち、日向灘沖の地震活動性は比較的盛んであるがタイプ-Aの地震の地域および安芸灘地域の地震活動性はやや不活発である。A、B2つのタイプの地震による敷地周辺での建物被害の記録はほとんどない。

【解説】:ここでは活断層や中央構造線については触れられていません。何故、安全性に係わる報告書に、活断層や中央構造線について記載が無いのか?原告側は問い質します。

【テロップ】:原告側弁護士 新谷勇人
[原告側弁護士 新谷勇人]:「活断層かどうかということは、非常に大切なことだと思いますけれども。そうじゃないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「それがはっきり活断層として地震を起こす証拠があるならば、それは報告書にとどめるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので、報告書にはとどめておりません」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「本当に調べられたんですか?」




[国側証人 大崎順彦]:「調べられたと思います」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「あなたは正確にはご存じないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「ただ、そういう報告を受けていませんので、そういう事実がなかったものだと思います。もし、はっきりした活断層があるならば、そのことを松田委員らは、私に報告してくれると思いますが・・そういう報告はなかったということです」[◆註:21]

[◆註:21]「報告がなかった」ことが即「そういう事実がない」とは、必ずしも直結しない。ここでは「(確率論的有無も含めての)事実の有無」と「情報伝達の状況如何」の混同がある。
 事実、以下に語られている通り、国側証人大崎順彦氏の証言がウソであったことが証明された!

【解説】:証言記録に名前が登場する松田委員を尋ねました。日本の活断層研究の第一人者で、当時、国の調査に当たった松田時彦さんです。

【テロップ】:当時原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦さん

[NHK記者の質問]:「ここに地震を起こす証拠があるならば、活断層として。それを報告書に留めるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので・・」

[当時 原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦]:「あぁ・・それは・・あぁ・・それはウソですよ。それは・・ひどいですねぇ・・。あの、われわれが、周りの方が飽き飽きする程、あんなに時間を要したのは、なかなか中央構造線、あれが活断層であるっていうことを(証明する)その為に時間を取っていたのに・・。そのことが無かったと・・」
(絶句する松田時彦氏)

【テロップ】:「地質学論集」第12号

【解説】:当時、松田さんが作成した活断層の地図です。伊方近くには、活断層の存在が推定できるとしています。

【画面】:今治から佐田岬を経て豊後水道から大分県の臼杵にまで伸びる、活断層が赤の実線、及び赤の破線で書き込まれた愛媛県西部から大分県東部の白地図

【解説】:地震の可能性に触れる報告は、何故か封印されていました。後半の終盤になって、関係者に衝撃を与える出来事が起きます。裁判長が突然、移動になったのです。証人調べの殆どに立ち会い、現地にも足を運んでいた判事です。[◆註:22]

[◆註:22]政府の息のかかった司法当局(最高裁)による政治的左遷人事。こうした判事の移動は珍しくない。1959年3月30日の東京地方裁判所裁判長判事伊達秋雄の下した「駐留在日米軍は違憲」の東京地裁判決(いわゆる伊達判決)を、検察の飛越上告を受けた最高裁大法廷判決(裁判長・田中耕太郎最高裁長官)が同年12月16日、「駐留在日米軍は合憲」の逆転判決を下した際も、最高裁判事の「総入れ替え」が行われたことを彷彿とさせる。

 この最高裁の砂川判決でも、忘れてならないことは、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限りその内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とする、いわゆる「統治行為論」を法理論として適用し。原判決破棄し、地裁へ差し戻した点である。
(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)

【テロップ】:伊方原発訴訟一審判決 1978年4月25日

【解説】:1978年4月25日。松山地裁。伊方原発訴訟の判決の日です。提訴から4年、原発の安全性について科学的な論争が繰り広げられてきました。

【テロップ】:原告らの請求を棄却する
[松山地裁裁判長]:「原告らの請求を棄却する」

【解説】:万一の事故の場合でも、住民の安全は維持出来るとし、原発設置許可の取り消しを求める住民たちの要求は退けられました。更に判決では、原発の設置を誰が決めるのかまで、踏み込んでいます。

[松山地裁裁判長]:「原子炉の安全性の判断には、特に高度の専門的知識が必要であること。原子炉の設置は、国の高度の政策的判断と密接に関連することから、原子炉の設置許可は、周辺住民との関係でも、国の裁量行為に属するものと考えられる」[◆註:23]

[◆註:23]「砂川裁判最高裁判決」での「統治行為論」の、まさに再現!「原発版・統治行為論」である。
http://www.asyura2.com/11/senkyo113/msg/205.html

 この後、伊方原発の2号機増設許可取消提訴(2号機訴訟)も、2000年12月15日の松山地裁豊永多門裁判長によって、許可の違法性は否定され、原告住民の請求棄却判決を下した。(原発訴訟史上初めて国の安全審査の問題点を指摘したという僅かな"おまけ"はあったが)
 これら一連の伊方原発訴訟判決により、国の設置は絶対であり、地元が将来被りうる可能性のある人身被害、経済的被害は全く考慮する必要は無しとされた。この伊方原発訴訟以後、原発訴訟では原告勝訴の例がない。

【画面】:「辛酸入佳境」[◆註:24]の旗を持った敗訴した原告側の人々の姿

[◆註:24]足尾鉱山鉱毒事件で東奔西走した故田中正造が残した言葉。「何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、苦労もかえってよろこびとなる」の意。

【解説】:裁量行為。つまり原発の設置許可は住民の合意に拘わらず、国の判断で行えるとするものでした。

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良さん

[原告側弁護団長 藤田一良]:「あの・・専門家裁量と・・・ねぇ・・・だけど、そんな事ねぇ・・科学的な専門家がどうして、人のいのちとか財産とかを、そういうようなものを巻き込んで起こるような事故の審査をする(というような)ときに、その連中が裁量出来るっていうものは、どこ探しても、そういうようなものは、どこにもありません。世界中ないです。

【解説】:一方、国側の証人村主進さんは、そもそも原発の安全性を法廷で争う事自体、疑問を感じていた、と言います。

【テロップ】:国側証人 村主進さん

[国側証人 村主進]:「伊方裁判について。僕は、裁判する問題じゃないと思うんですよ。それを裁判で、良い、悪い、を言うべき問題じゃないと僕は思っているんですけどね。争う場はですね、やっぱしその・・何ですよ、論文で、その・・・ちゃんと書いたものを残して、それで、そのこれはこうだ、あれはああだって・・あんたの主張はここがおかしいんじゃないかって・・こんだ、こちら側は、こういう考え方で、こう主張しているんだって・・そういうことで、噛み合わせればね、自然現象っていうもん、科学っていうものは一点に収束するんですよ。

【テロップ】:愛媛県 伊方町

【解説】:判決が出た時、伊方原発は既に運転を開始していました。

【解説】:地元には、深い対立だけが残されました。

[NHK記者]:「おはようございます。宜しくお願いします。こんにちは」。

[伊方町住民 松田文治郎氏の家族]:「はい、はい。おはようございます」

【解説】:伊方町で原発推進派だった松田文治郎さんです。

[伊方町住民 松田文治郎]:「この地区は反対者が多かったんです。ちょうど、ここが、ぶおう(?)部落という部落じゃったんです。ところが、私の叔父とか従兄弟とかの親戚関係は、もう、ほとんど反対だったんです。

[松田文治郎氏の奥さん]:「うん。反対だった。やっぱりいろいろな考えの人が・・」

[伊方町住民 松田文治郎]:「親父が賛成で、息子のげぞう(?)が『町のためにならん。妙なもの作るってる・・』っていうようなこと言いましてね、えらい批判の・・何を言ってましたよ」

【解説】:原発建設に反対した大沢肇さんです。

【テロップ】:伊方町住民 大沢肇さん

[伊方町住民 大沢肇]:「わしんところには1000万円もろてやるけん、原発反対やめよ・・って言うてきた人あります。その人ん名は言われんけんどなぁ・・じゃけんど、私は『俺ぁ、カネで動くような人間じゃないわい!』って言うて、わっと断りましたけんど・・・」

[NHK記者の質問]:「それはカネより大切なものがあると思うから(ですか)・・?」

[伊方町住民 大沢肇]:「はい・・」

[NHK記者の質問]:「それは何ですか?」

[伊方町住民 大沢肇]:「・・・カネたっていうようなもんではない・・そりゃぁいのちよ・・」

[NHK記者の質問]:「うん・・」

[伊方町住民 大沢肇]:「ひとのいのちより大事なもんはないもの・・」[◆註:25]

[◆註:25]蝉時雨の中で、口ごもりながら、ポツン、ポツンと、つぶやき語る大沢肇氏の言葉の奥にあるものを感じ取って欲しい。遠く先祖から伝えられてきた、ふるさとの海や山を守りはぐくんできた貧しい佐田崎の一寒村(旧三崎町)の一老人の、いのちの叫びを、私たちは再度聴き取る必要がある。

【テロップ】:茨城県 東海村

【解説】:日本で最初に原発を受け入れた茨城県東海村。原子力関係の施設が多く集まっています。村上村長村上達也さんは、若い頃から変わっていく村の姿を見てきました。

【テロップ】:東海村村長村上達也さん

[東海村村長村上達也]:「いや、まぁ・・原発はだなぁ・・圧倒的な力を持っていますから、そこには皆働いて職を得る、(村の)財源もそこに頼ると・・いうことになりますからねぇ。ものが言えなくなりますよねぇ・・。原発立地市町村、それに対しては(国は)特別待遇をしてくるね、っていう感じの大変な世界だなぁ・・っていう感じがありますよねぇ・・。うん・・そういう面じゃ、いわゆる、こう国に取り込まれている世界だと・・。うん、うん、うん・・国に抱え込まれている世界だなぁ・・っていう感じがしますよねぇ」

【解説】:原発推進を国策として推進する行政。[◆註:26]

[◆註:26]戦前、戦中の満蒙開拓移民国策の戦後版、これが原発推進国策である。昭和農村大恐慌で生活難に喘ぐ貧農を大量に満州、朝鮮へ送り込み、「王道楽土」「五族協和」の旗印を掲げ、満州人や朝鮮人の土地や生命財産を侵略し、奪い尽くし、いのちまでも殺傷して武装開拓移民を送り込んできた満州開拓移民の国家を挙げての国策と、戦後1950年代半ばから始まった国内過疎地での原発建設の一大国策は、ピッタリ重なっている。

かつての「守れ満蒙生命線!」の、国策キャンペーンが、戦後は「守れ原発生命線!」に置き換えられただけだ。こうした国策に酔わされ「王道楽土の新天地」を夢見て、大陸に、満州に、朝鮮へと移住していった開拓移民たちが、昭和農村恐慌の嵐の吹き狂う内地の貧しい貧農生活では得られなかった「快適な生活」は、イコール、現代の原発立地を受け入れ、原発補助金で潤い、原発関連に就職できる生活を享受し、疑問も危険も感じない原発誘致自治体地域住民の「豊かさ感覚」とピッタリ重なっている。

(4)へつづく


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by y_csm521 | 2011-11-28 13:07 | 資料・情報・講演