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COSMOSの原発関連ニュースメモ

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毎日たくさん流れてくる原発関係のニュースの個人的なメモです。

カテゴリ:資料・情報・講演( 58 )

連続講座② 脱原発と日本社会の未来

★第2回 2012年2月13日 (月) 午後7時から8時30分
テーマ:「原発輸出と『国際協力』」 
お話:越田清和さん(ほっかいどうピーストレード事務局長/ほっかいどうピースネット)
会 場:札幌エルプラザ2階環境プラザ 環境研修室2
(札幌市男女共同参画センター内2階環境プラザ 札幌駅北口直結)
参加費:500円 (事前申し込み不要)

2011年3月に福島第一原発で起きた巨大原発事故は、日本のみならず世界に大きな衝撃をもたらしました。すでに9カ月をすぎる今でも、この巨大事故がもたらした被害は拡大するばかりです。いまだに放出されている放射能、被災者の避難、汚染された大地の除染、放射性廃棄物の処理、農業・漁業をはじめとする生業・産業への影響、補償・・・解決に向かう動きはなかなか見えてきません。また、原発推進派の電力業界や学者が、3月の巨大事故の影響をできるだけ小さく見せようとする言動を強めてきました。

しかし、原発はいらない、原発に頼らない社会を作ろうという声と運動は広がっています。ヨーロッパでは、ドイツやイタリアが脱原発の道をあらためて選択しました。日本でも、福島県が県内にある全ての原発の廃炉を決議したことをはじめ、多くの自治体が脱原発を求めています。

中東・北アフリカでは、独裁体制を倒そうと「アラブの春」と呼ばれる民衆反乱が起きました。米国から始まった「ウォール街を占拠せよ」の運動も、世界中に広がりました。
世界は大きく動いているのです。こうした動きの中で、原発のない日本社会とはどういう社会なのかを、広い視野から議論したい。そう考えて、この連続講座を企画しました。
ぜひご参加ください。

主 催  ほっかいどうピースネット
連絡先 市民自治を創る会 Tel&Fax 011-214-0031

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by y_csm521 | 2012-02-13 00:42 | 資料・情報・講演

バルセロナの童子丸開さんから、「グローバルリサーチ」の特集記事のチョスドフスキーによる序章の翻訳紹介ですが、フクシマ後の「隠蔽・棄民政策」とイランをめぐる「戦争の危機」とを重ね合わせて警鐘を鳴らしています。

IAEAが、根拠のないストレステストに「お墨付き」を与えるために10名もの「レビューミッション」なるものを派遣するなど、「隠蔽・棄民」の東電・日本政府とともに公然と共犯を演じていますが、これほど世界の民衆を犠牲にする真の「目的」とは、何なのでしょうか。

======以下、全文転載=====

新しく次の翻訳(仮訳)をウエッブで公開しましたのでお知らせします。
外国に住んでおりますと、少なくとも原子力(核)や放射能の話題になると、人々の日本に対する非常に厳しい視線を感じざるを得ません。別に何かの専門家でない近所の普通の人たちでも放射能の話題には敏感です。実際に、大病院の腫瘍科に通う人に聞くと、近ごろやけに30~40代くらいの若い世代の通う人数が増えているそうです。子供のころにちょうどチェルノブイリ事故があったのですね。

疫学的な因果関係については何ともわかりませんが、比較的影響の軽かったスペインでもこの状態であり、日本の放射能に対する認識は厳しいです。昨年10月に、放射線量の高い栃木県茂木にあるサーキットで世界的なオートバイレースが開かれ、若いスペイン人の選手が大勢行ったのですが、多くが最後まで嫌がっており、こちらの人も顔をしかめていました。おそらくこの世界レースの開催には相当に政治的圧力があったと思います。こちらのニュースによれば国連の機関(間違いなくIAEA)が「大丈夫」と太鼓判を押したそうです。

その一方で一月になって、廃村寸前に追い込まれていた過疎の村が、核廃棄物処理場の受け入れを決めました。そしてそのニュースが流れたとたんに、職を求める人々の履歴書が何千通も村役場に届きました。いまスペインは22%を越す失業率、特に若い人たちの半分に職場がありません。悲しい現実です。

童子丸開

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http://doujibar.ganriki.net/fukushima/A_Nuclea_%20War_without_a_War.html
Global Research Online Interactive Reader
フクシマ:戦争なき核戦争 語られざる世界規模の放射能危機

 カナダ、オタワ大学経済学教授ミシェル・チョスドフスキーは、ネオリベラル(新自由主義)経済によるグローバリゼーションが人類にもたらす災厄について警告を発するために、ウエッブサイト『グローバルリサーチ(Global Research)』を立ち上げ運営している
人物です。昨年後半以来、今まで同誌に寄せられた論文をテーマ別にし、特に注目すべき記事を集めて1冊の本のように章と項目に分けて配列して、Online Interactive
Reader(I-Book)という特集を作っています。
 そしてこの1月25日に、そのOnline Interactive Readerの第3集として、Fukushima: A Nuclear War without a War: The Unspoken Crisis of Worldwide Nuclear Radiation(フクシマ:戦争なき核戦争: 語られざる世界規模の放射能危機)を発表しました。

 以下にお見せするのはその「序章」とも言えるI-Book No.
3の紹介の和訳(童子丸開による仮訳)で、原文は次です。
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=28870
GLOBAL RESEARCH ONLINE INTERACTIVE READER SERIES
Fukushima: A Nuclear War without a War: The Unspoken Crisis of Worldwide Nuclear Radiation Michel Chossudovsky (Editor) I-Book No. 3, January 25
2012

 ここに書かれている内容は特に目新しい情報を含むものではなく、一部に首をひねる箇所もあるのですが、福島事故に関する注目すべき英語情報を一堂に集めたシリーズとして注目されます。外国人の目からですが、フクシマを多方面からの視点で眺め総合的にとらえる企画として重要なものかもしれません。
 このチョスドフスキーによる「序章」の下には、各章と各項目に当たるグローバルリサーチ誌の記事(ビデオを含む)の一覧が載せられています。ここでは和訳に続いて、リンクの付いた見出しと著者(ビデオ出演者)、一部に簡単な内容紹介の付いたリストを載せておきます。ただし全て英語のままです。これを全て和訳できれば良かったのでしょうが残念ながら困難です。

 その各記事の著者(ビデオ出演者)には、アーニー・ガンダーソン、クリス・バズビー、ヘレン・カルディコット、ミチオ・カクなど、日本人がよく知っている人々の名も多く見えます。そしてその中に日本人ジャーナリスト島津陽一の名が現れます。
 島津氏については注釈【3】にも書いているのですが、「福島原発内で秘密の核兵器開発が進められており、その隠蔽工作のために初期の対応が遅れたのではないのか」という推定を英文記事で発表した人です。

 チョスドフスキーもこの「序章」の中でこの推定について触れているのですが、私としては肯定も否定もできません。もしそれが事実であったとしてもそれは国家機密であり隠ぺいした者たちが証拠を残すとは考えられず、また島津氏が確実な情報源をつかんでいたとしてもそれを公表することは出来ないでしょう。しかし日本の原子力政策についての現在までの歴史的な経過や、福島事故が起こって以来の状況を参考にするなら、そのような仮定が成り立つ可能性も考えられます。また原子力対策本部が議事録を作成しなかった問題についても、何かそのような重大な機密事項が関係しているのかもしれません。

 なお、訳した部分の原文はこのページの終わりに貼り付けておきます。
(2012年2月3日、バルセロナにて、童子丸開)
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■フクシマ:戦争なき核戦争 語られざる世界規模の放射能危機
ミシェル・チョスドフスキー  2012年1月25日

●序文
 世界は危機的な十字路に立っている。日本のフクシマ災害は世界規模の放射能危機の最前線となっている。
 この日本の危機は「戦争なき核戦争」として描かれている。著名な小説家である村上春樹はこう語る。
『今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し、自らの生活を破壊しているのです。』
 放射能は、この地球という惑星の生命を危険にさらすものだが、地方レベルの犯罪シーンやハリウッド・スターの興味本位なゴシップ記事といったほんの些細な大衆の関心事との比較で、トップニュースになっていない。

 福島第一原子力発電所事故の長期にわたる悪影響はいまだ十分に評価されているとは言いがたいが、それは1986年のウクライナのチェルノブイリ事故に関わるものよりもはるかにずっと深刻なものである。チェルノブイリはほぼ100万人の死者を出したのだ。(次を見よ:New Book Concludes - Chernobyl death toll: 985,000, mostly from cancer Global Research, September 10, 2010, また次を見よ: Matthew Penney and Mark Selden The Severity of the Fukushima Daiichi Nuclear Disaster: Comparing Chernobyl and Fukushima, Global Research, May 25, 2011)

 さらに言えば、皆の目が福島第一原発に釘付けにされていた一方で、日本と国際社会の両方で、ニュース報道は東電(東京電力)福島第一原子力発電所における2番目の惨事の衝撃について十分な認識を持ち得なかったのである。
 日本でも欧米でも、いいかげんな政治的見解は福島の危機は封じ込められたというものである。しかしながら現実は全く異なる。福島3号機から漏れていたプルトニウムは明らかにされなかった。ヘレン・カルディコット博士によると「100万分の1グラムのプルトニウムが体内に入れば癌をひき起こす」。
 2011年5月の世論調査で、日本人の80%以上がこの核事故についての政府の情報を信用していないことが明らかになった。(
Fukushima: Japan's Second Nuclear Disaster, Global Research, November 10, 2011からの引用)

●日本での打撃
 日本政府は「この原子力(核)の危機の重大さの度合いが1986年のチェルノブイリの災厄に匹敵する」と認めることを余儀なくされてきた。しかしながら、これは酷い皮肉なのだが、この日本の権威者たちによる暗黙の了解が、地球規模の放射能汚染の一過程を導く明らかにより大規模な惨劇に対する隠蔽の一部であると分かってきたのだ。

『チェルノブイリが膨大な前例の無い災厄であったわけだが、それは一つの原子炉で起こり急速にメルトダウンを起こしたものに過ぎなかった。いったん起こってしまえば、それは、10万人の労働者を使って作られたコンクリートの石棺で覆うことが可能だった。福島には崩壊しつつある4400トンもの核燃料棒があり、それはチェルノブイリでの放射性物質の総量などはるかに見劣りさせてしまうほどのものである。』( Extremely High Radiation Levels in Japan:
University Researchers Challenge Official Data, Global Research, April 11, 2011)(写真:2011年3月、福島は津波に襲われた)


●世界規模の汚染
 太平洋への高濃度放射能汚染水の放出は、地球規模で進行する放射能汚染の引き金となる可能性がある。放射性物質は日本での食物連鎖で検知されたばかりでなく、カリフォルニアでも放射能を含んだ雨水が記録されている。

『福島の周囲の海と大気に流された有害な放射性物質が、様々な食物連鎖(たとえば海藻、甲殻類、小魚、大型の魚、そして人間へ、あるいは土壌、草、牛肉と牛乳、そして人間へ)の各段階で集積される。体内に入れば、イニシャル・エミッターと呼ばれるこれらの物質は、甲状腺、肝臓そして脳といった特定の器官に移動し、高濃度のアルファ線やベータ線、そして(または)ガンマ線で少量の細胞を被曝させ続け、そして長い年月の間で癌を発生させる。』(Helen Caldicott, Fukushima: Nuclear
Apologists Play Shoot the Messenger on Radiation, The
Age, April 26, 2011)

北アメリカ西岸への放射能の広がりが偶然に知られるようになった一方で、初期の新聞報道(APとロイター)は、「外国の情報源を引用して」わずかに次のように述べただけだった。「微量の放射性の粒子がカリフォルニアに届いたが、人間の健康に影響を与えるものではない」と。

『それらの通信社によれば、名の知れない情報源が国連の包括的核実験禁止条約機構によって運営される観測地ネットワークのデータにアクセスしている。
…米国原子力規制委員会のグレッグ・ヤツコ委員長は木曜日(3月17日)にホワイトハウスのレポーターに、同委員会の専門家たちが「米国本土あるいは他の全ての米国領土で、有害となりうる放射能レベルについて何の心配もしていない」と語った。』
(図表3つ:2011年3月、放射能の広がり)

●人々の健康に対する災厄、経済的打撃
 明らかになるのは十分に組織化されたカモフラージュである。日本での人々の健康に対する災厄、水の汚染、農地と食物連鎖、そしてもちろん拡大する経済的・社会的影響は、日本の指導者たちの包括的で意味深長なやりかたの中で、決して十分には認識されていないし告知されてこなかった。
 国民国家としての日本は破壊されてしまった。国土と領土内の水は汚染されている。国の一部は居住不可能である。高濃度の放射能が東京首都圏で記録されている。そこには3900万人(2010年)(同年のカナダの人口3400万人より多い)が住んでいるのだ。食物連鎖が日本中で汚染されていることを示す証拠がある。

 法的な限度を超える放射性セシウムが静岡市の製茶工場で検出されたが、そこは福島第一原子力発電所から300キロメートル以上も離れているのだ。静岡県は日本で最も有名な茶の産地である。
 ある東京の茶販売店は静岡県に対して、静岡市から運ばれてきた茶の中に高レベルの放射能が検出されたと告げた。福島原発事故の後、茶葉と製茶の放射能汚染は東京付近の幅広い地域で発見されている。( 5 More Companies Detect Radiation In
Their Tea Above Legal Limits Over 300 KM From
Fukushima, June 15, 2011を見よ)

 日本の産業・工業の基盤は打撃を受けている。この国の輸出は落ち込んでしまった。東京の政府は1980年以来始めての貿易赤字を告げた。
 商業メディアが生産活動の進行に対する計画停電と電力不足の打撃に小さく視点を絞っている一方で、この国のインフラと産業基盤の明らかな放射能汚染に関するもっと大きな問題はタブーとされる。(工場、機械、設備、建物、道路などを含む。)2012年一月に発表された記事では建設業で用いられる建築資材の放射能汚染が指摘されている。(FUKUSHIMA: Radioactive Houses and Roads in
Japan. Radioactive Building Materials Sold to over 200
Construction Companies, January 2012を見よ)

 経済産業省による"Economic Impact of the Great East
Japan Earthquake and Current Status of Recovery"【注1】と題する「隠ぺいレポート」は「経済的な回復」を既成事実として紹介している。それは同時に放射線の問題を拭い去っている。労働力と国家の産業基盤に対する放射能の影響は述べられていない。このレポートは東京と福島第一原発との距離が230kmのオーダーであり、東京での放射能レベルが香港やニューヨークより低いと述べている(同レポート15ページ)。この記述は確証的な根拠に基づくものではなく、また独立した調査による東京の放射線値(下の地図を見よ)と明白に矛盾した形で作られたものである。最近の展開では、総合警備保障(株)が「東京とその周辺4県での放射線量測定の家庭向け出張サービス」という儲かる商売を立ち上げている。

 市民の測定による放射線レベル地図【注2】は、放射能が東京以北の日本の幅広い地域で山地の地形と風向きを反映して複雑なパターンを描いていることを示している。東京は地図の下部の中央にある。
(放射能レベル地図)
 放射線の限度はブルーの0.1マイクロシーベルト毎時以上から始まる。赤は5.0マイクロシーベルト毎時と、市民の放射線限度量の50倍である。子供が大人よりも放射能の影響を受けやすいため、こういった結果は汚染の可能性がある地域に住む幼い子供を持つ親にとって大きな心配となっている。
SOURCE: Science Magazine

 根本的な疑問は、日本で作られて輸出される工業製品と部品の大群が -- それにはハイテク部品、機械類、電子機器、自動
車類などが含まれるのだが -- 汚染されているのかどうか、ということだ。日本の自動車産業は危機に陥っている。自動車産業の大部分が中部日本にあるのだが、日産のエンジン工場は福島第一発電所から42kmのいわき市にある。日産の労働力は影響を受けているのか? エンジン工場は汚染されているのか? その工場は、およそ20万人が避難した政府の言う「避難地域」からは、10~20kmの範囲にあるのだ。(下の地図を見よ)
(福島原発周辺の地図)

●核(原子力)エネルギーと核戦争
 日本の危機は同時に、核(原子力)エネルギーと核戦争との間にある語られざる関係を公開のものにしてしまった。
 核(原子力)エネルギーは国民の経済活動ではない。それは、いわゆる防衛請負企業によってコントロールされる核兵器産業の付属物なのだ。核(原子力)エネルギーと核兵器の背後にある膨大な企業的利益は重なっている。
 この危機が絶頂にあった日本で、「核(原子力)産業と政府機関は日本にある民間の原子力発電所の中に隠される核兵器研究施設が発見されることを防ぐために緊急の行動をとっていた」。 (島津陽一, Secret Weapons Program Inside
Fukushima Nuclear Plant? Global Research, April 12,
2011を見よ)【注3】

 メディアと政府の両方による放射能被害に対する自分勝手さは、原子力(核)エネルギー産業に関わるものであると、同時に核兵器の使用にちなむものであることは注目されるべきだ。そのどちらの場合でも、放射能の健康に対する破滅的な衝撃は一致して否定される。広島原爆の6倍に上る爆発力を持つ戦術核兵器は、ペンタゴンによって「周辺の一般住民にとって安全である」と告げられているのである。【注4】
米国・NATO・イスラエルによるイラン攻撃で起こりうる結果についての無関心が政治的なレベルで表明されてきた。そこでは「一般住民に安全な」戦術核兵器が核武装をしていない国に使用されるのだ。

 このような行動は「考えもしなかったこと」を結果としてもたらすかもしれない。中東と中央アジアの広大な地域を覆う核ホロコーストである。しかしながら、核の悪夢はたとえ核兵器が使用されなくても起こりうる。イランの原子力(核)施設に対する通常兵器による爆撃は、幅広い放射性物質の降下を伴うもう一つの福島タイプの災厄を作り出すのかもしれない。(より詳しくは、ミシェル・チョスドフスキーの次の記事を見よ:Towards a World War III Scenario, The Dangers of
Nuclear War, Global Research, Montreal, 2011)

●福島Online Interactive I-Book Reader:戦争なき核戦争
 公権力による隠ぺいとメディアの情報操作キャンペーンのために、このOnline Interactive Readerにある記事とビデオリポートの内
容は、広範な公衆に対しては広まってこなかった。(下にある記事の一覧を見よ)
 この福島Online Interactive Readerには、分析的そして科学的な記事、ビデオリポートと同様に、短いニュースリポートと研究データの内容が含まれている。

 パートIは、福島核事故がどのように起こったのかに焦点を当てる。パートIIは日本での健康被害と社会的な打撃に関するものである。パートIIIは「隠される核の破局」、つまり日本政府と企業メディアによる隠ぺい工作に注目する。パートIVは世界的に広がる放射能に照準を絞り、そしてパートVでは、世界の原子力(核)エネルギー産業の福島事故への関わりを見直すことにする。

 止むことのないメディアの情報操作に対面して、この放射能の危険に関するグローバルリサーチOnline I-Bookは、メディアの沈黙を破り大衆の
注意を喚起し、一方で同時に、各国政府とメディアと核産業の係わり合いに対しての指摘を行おうとするものである。
 我々は声を広げるように読者に呼びかける。
 我々は総合大学や単科大学、高等学校の教師に対して、この福島Interactive Readerを学生たちに読ませるように求める。

ミシェル・チョスドフスキー 2012年1月25日

【以下はグローバルリサーチ誌に載せられている 福島Interactive
Readerの内容だが、一つの日本語訳を除いて、全て英語の情報である。また今後この内容は増えていくだろう。】
 省略

脚注 
【1】このリンク先は確かに日本の経済産業省の英語版発行物のようで、表題は「東日本大震災と最近の回復基調」と訳せるのだが、現在のところ、この日本語版を見つけることができない。こちらの朝日新聞の記事にはその内容の一部が書かれているようだ。(朝日新聞、2011年6月29日http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106290136.html)まさかとは思うが、英語版だけがウエッブ上で公開されているのだろうか? 

【2】これを「市民の測定による」としたのは、グローバルリサーチ誌の誤認であろう。この地図を作ったのは確かに民間の団体(個人?)nnistarだが、測定値は国や自治体によるものを元にしている。
 この地図は、こちらの2011年6月19日付アメリカ経済ニュースBlogに載せられているものと同じと思われる。
  http://uskeizai.com/article/210682103.html#more
 しかし現在では、nnstarによって、色を変えて測定地点も格段に増やして次の地図が作られている。
  http://www.nnistar.com/gmap/fukushima.html 

【3】島津陽一氏は日本ではほとんど知られていないが、元ジャパンタイムズ・ウィークリー編集長で、香港を拠点に活動しているジャーナリストである。また北京にある英語情報誌BON(Blue Ocean Network)でもニュース解説を行っているよう
だ。BONについてはビデオサイトはBON-TVを見る方が分かりやすいかもしれない。
 この「福島原発内で秘密の核兵器開発が進められており、その隠蔽工作のために初期の対応が遅れたのではないのか」という島津氏の推定については、次の中国系の情報をご覧いただきたい。
 米メディア:日本には民用プロジェクトを軍事転用する伝統がある
 日本人ジャーナリストが驚くべき推測告白 福島原発で核兵器開発 

【4】これに関連して、ミシェル・チョスドフスキー著『アングロ・アメリカのテロ戦争:概観』を参照のこと。ここに、2003年にはすでに広島原爆の3分の1から6分の1程度の「ミニ・ニューク」が、通常の戦闘場面で使用される戦術兵器であると米国上院が決議したことが書かれている。 





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by y_csm521 | 2012-02-04 11:26 | 資料・情報・講演


インタビュアー:今心臓の話をしていただきました。そして「残念ながら」とおっしゃるのは…?

ユーリー:我々は研究が続行できないのです。大変費用の掛かる研究だからです。例えば免疫システムの研究には非常に高価な特殊な器具が必要です。それから酵素の研究、内部分泌システムや肝臓や腎臓の酵素を研究するには生検も必要です。そして何よりも中枢神経。

インタビュアー:そうした研究はすべてやりかけなのですか?


ユーリー:その通り。どれ一つ取っても世界中に情報を提供できる重大な研究の糸口なのに。科学研究は無限です。我々があらゆることを発見したなどと言うにはまだ程遠い状況なのです。こうした研究は人々に限りない助けをもたらすはずです。心臓に関して言えば、心臓疾患による死亡者は大変多く、実際に起こっていることが我々にもわかっています。

インタビュアー:(ガリーナに)あたなは科学的真実を拒絶しようとしていたことをご自分でわかっていらっしゃいましたか?

ガリーナ:はい。 

インタビュアー:発見しなかった方が良いと思われたのですか?

ガリーナ:ええ…そうです…

インタビュアー:ある意味でご自分を守るために?

ユーリー:彼女はそれを感じていたんだ。

インタビュアー:どのように決着がついたのでしょうか? 

ガリーナ:私は彼に「このことは全部忘れてしまいましょう」と提案したのです。そしたら彼に「それでは君は医者として失格だね。医者として失格だと自覚できるなら学位証書を返却して、中庭の掃除でもすればいいさ」と言われました。この言葉には大変傷つきました。私は医者になることをずっと夢見てきたのです。医学部に登録できるまで3年も掛かりました。難関でしたから。ですから彼にそう言われて「いけない」と思いました。「それなら何かしなければ」と。そうやって、この研究が私の博士論文になったのです。

すると次の問題が発生しました。私は論文をほぼ書き終え、製本をしてベラルーシの科学者達に紹介し始めたのです。グロドノの博士論文審査委員やミンスクにも委員会があります。そこで何と言われたかわかりますか?「悪くない研究ですね…。しかしタイトルを少し変える必要があるでしょう。”放射性セシウムとの関係”と言う表現はまずい。”放射能汚染地域に生きる児童における心臓血管システムの機能状態”に書き換えなさい。」ですって!

ユーリー:被曝量も書いてはいけないと言われた。

ガリーナ:そう、被曝量も消しなさいといわれました。ただ子供達に異常が見られるとだけ書くように。現在のままの形ではあなたが論文審査に合格できる保証は出来ませんと。

インタビュアー:何の説明もないまま? 

ガリーナ:ええ、何の説明もないままです。 

ユーリー:真実を明かしたくないために我が国ではこういう行為が起こるのです。近年、医学生物学に関する研究著作は数多く執筆されていますが、まさに今、この問題に関する真実を知られたくないのです。この論文が国の外に出ては困るのです。私は事実を列挙するだけのテクストには反対です。事実を列挙することは科学ではありません。単なるジャーナリストの統計と同じです。科学とは、パラメーターが何であろうと相関関係を証明することです。一貫した論理をたどるものです。

インタビュアー:原因を解明することですね? 

ユーリー:その通り、原因と結果との間の関係を解明することです。それが発見です。パラメーターを調査することも出来ますが、その組み合わせと相関関係を証明することこそが科学です。そして相関関係が多いだけに科学の価値もいっそう大きいのです。

インタビュアー:彼らはチェルノブイリを隠蔽したいのですね?

ユーリー:おそらくそうだと思います。 

ガリーナ:私は自分の国を思って悲しくなりました。この研究を発表した時、日本人が参加する学会で発表を行ったのです。彼らは即座に私の研究に興味を示して、ユーリーに会いに来ました。「5分ほど質問に答えていただけますか?論文のグラフも見せていただきたいのですが。」と。そしてとても興味深い質問がなされました。「あなた方は心電図に異常が発生し、実験においては心臓細胞が破壊されることも観察されました。さらに先まで研究は進んでいるのですか?細胞はどのレベルで変容を起こすのでしょうか?ミトコンドリアのレベルですか?」等々です。恐らく日本人達も研究を進めているところで、仮説を想定していたのだと思います。私達の研究は彼らの仮説を推し進める刺激になったのでしょう。とにかく私達の研究は日本の科学者達の間にとても大きな波紋を投げかけました。

ユーリー:彼らは録画も行った。

インタビュアー:インタビューと録画を行ったわけですね? 


ユーリーとガリーナ:そうです。

インタビュアー:資料も見せたのですか? 

ユーリー:彼らは我々、ガリーナと一緒に大学で二日間仕事を行いました。休みなしにぶっ続けで。

インタビュアー:正確にはどんな仕事をしたのですか? 

ユーリー:絶え間なくカメラを回していました。実験の展開とその論理について、くまなく録画していました。当時はもちろん今ほどまだ結果がありませんでした。お陰様でそれ以来研究はさらに進んでいます。しかしこの論理については、彼らはくまなく録画して行きました。日本の主要な科学系テレビ局の一つでした。チェルノブイリについての番組で、ゴールデンアワーに放映が予告されていました。 

インタビュアー:それで放映されたのですか?

ユーリー:知りません。

インタビュアー:ビデオを送る約束はしてくれましたか?

ユーリー:誰も何も約束しませんでした。

インタビュアー:頼まなかったのですか? 

ユーリー:私はただ「許可はあるのですか?」と彼らに聞いただけです。録画許可は得ているという返事でした。 

インタビュアー:地方当局による許可ですね。

ユーリー:そう。

インタビュアー:それで、あなた個人は?あなたの発見を彼らに明かしたわけではないですか。 

ユーリー:頼んだのですが、ダメだという答えでした。 

インタビュアー:何が?

ユーリー:その場では録画したものを私達に渡すことは出来ないけれど、後で送ると言われたのです。

ガリーナ:まだ編集が出来てないからと... 

インタビュアー:いつのことですか? 

ユーリーとガリーナ:1996年です。 

ネストレンコ:編集はまだ続いてるんだ。 

インタビュアー:四年も前!あなた方は騙されたのではないですか!

ユーリー:わかってください。当時、逮捕されるその日まで、私にとっては人々にこの事実を知らせることが一番大事だったのです。誰がそれを世に出すのかは問題でなかった。バンダジェヴスキーだろうがバンダジェヴスカヤだろうが、シドロフあるいはペトロフだろうが。我が国の子供達がどんどん死んでいるんです!統計やデータを収集し、後年その分析をすることだって出来ました。過去のどこかで起こった事に関する研究として。「いつか役に立つだろう」と言うことで。しかし今現在私達が研究を進めることはずっと重要なのです。この研究によって、どうやって今日生き続けたらいいのかが示されるのですから。今日この日から。これは今日、今現在のための研究なのです。そしてもしかしたら明日は、多くの別の国民のための…私は駆け引きなんてしたくなかった。私は彼らが正直だと信じることにしたのです。どのような形で公表されるかなど、私にはまるで興味はありませんでした。それで朝から晩まで二日間ぶっ続けで彼らと仕事をしたのです。

ガリーナ:彼らに私達の発見をプレゼントしたようなものです。


ユーリー:発見だろうとなかろうと関係なかった。

ガリーナ:あなたが日本人に見せたものはまったく新しいことだったわ。

インタビュアー:筆記資料もすべて渡したのですか?

ガリーナ:いいえ。彼らはユーリーの見せたことをすべて録画していきました。 

インタビュアー:つまり筆記された資料は持っていかなかったのですね? 

ガリーナ:いいえ、写真に撮影して行きました。

ユーリー:写真も見せました。当時は今のような写真はなかった。この写真は国会のシンポジウムで既に見せましたが、とても興味深いものです。腎臓組織の中の空洞、”解けた氷”だ。[訳注:バンダジェフスキー博士は、腎臓の重要な構成要素であるネフロンがセシウムによって破壊されることを発見し、セシウムの毒性に接したネフロンが氷のように解け、腎臓組織が穴だらけになる様子を”解けた氷”と表現した。ソース]正常なネフロンの構造がすでに変容しはじめているのがわかる。これはネズミを使って行った実験です。こちらは人間の組織が初期の萎縮を起こしている様子です。これは大きな空洞の出来た子供の心臓です。

ガリーナ:死んだ子供ね...

ユーリー:そう、死んだ子供の心臓だ。同じような間質液出血が成人の筋肉内空間で見られる。

インタビュアー:この枝のようなものはあってはならないのですね? 

ユーリー:もちろん!これは欠陥です。これは出血症の様子です。止血障害です。子供の骨髄内出血、副腎皮質出血です。他の写真も同じようなものです。これもまた”解けた氷”。別のケースです。すべて私達が撮影し、大学で大きな看板に張り出しました。学生達が見て知ることができるように、すべて図画化もされてます。

インタビュアー:撤去されたのですか?大学の指導部が変わりましたが。

ユーリー:指導部は変わりましたがすべて撤去はされていません。すべて壊されたわけではありません。指令は下ったのですが…。

ガリーナ:指導部と言えば、ユーリーがすでに監獄に入れられた後ですが、ゴメリ大学で大々的な検査が行われました。すべての学部が検査されました。もちろん科学部もです。そして委員によって最初に下された結論は「現在実施されているプログラムは高等教育機関にふさわしいものではない」と言うものでした。そしてプログラムの変更が余儀無くされたのです。

インタビュアー:そのプログラムとは十年間あなた方が行ってきたものではないのですか?

ユーリー:もちろん。

ガリーナ:でも彼らは大学ではまるで科学的な教育が行われてこなかったと結論したのです。そのことが強調されました。高等教育機関にふさわしい基礎となる方向性のはっきりしたグローバルなテーマが欠けているといわれ、もちろん誰も抵抗はしませんでした。そこで私は立ち上がって同僚達に言い渡しました。「ここに大勢お集まりのみなさん、みなさんは全員この土地にお住まいです。ここに住み、子供を持ち、子供を育てていらっしゃいます。やがて孫も生まれてくるでしょう。大学の私達の研究テーマは現状の中でどのように生き延びていったらいいのかを調べ、示すものだったのに、大学にふさわしいものではなかったと仰るのですか?」彼らは「ガリーナ・エルゲイエヴナ、あなたはたぶん誤解されてるのです。テーマが満足なものでなかったということについて。ただ、新たな学長の意見は、もっと広範で柔軟なアプローチが必要だと言うものです。今までのテーマは幅が狭すぎ、高等教育機関のレベルには達していないと言うことなのです。」と答えたのです。それが彼らの弁明でした。「それと子供や孫達に関するあなたの非難は口外されないことを忠告します」と。

インタビュアー:”非難”と彼らは受け取ったのですか?

ガリーナ:私は言いました。「私が子供に目を向けるのは小児科医だからかもしれません。私はまず第一に子供達、子供とこの国の未来に関することを守りたいのです。私達がまず心配しなければならないのは子供達に何を残すかということです。」と。けれども、ここでは別の考え方がなされているのです。一番研究費の潤沢なテーマこそ、私達の研究テーマには資金は提供されていなかったのですが…

インタビュアー:資金と言えば、どうされていたのですか?


ガリーナ:どうしたと思われますか?私達は”私腹を肥やしていた”…と警察は信じさせようとしています。

ユーリー:その話はしてはいけない。

ガリーナ:私の責任にしておいて。私達はゴメリで私腹を肥やしていたことにされているのです。いったいどうやって?汚染されていない地域からやってきたから?ここに家族を連れてきたから?それとも国家からこのなんとか用を足しているアパートを与えられたから?どこに私達の財産があると言うのでしょう?私達が慢性の病気に苦しんでいるから?甲状腺の手術をしました。

インタビュアー:あなた御自身が?

ガリーナ:ええ。それに腫瘍のせいで別の婦人科の手術も受けました。この十年間で私達が蓄えたものなんてそれだけです!他の人々はこう言っていました。「良い奨学金を手に入れて、意味がなくても自然と資金が集まるようなテーマを選ぼう。たとえひどいテーマでも資金が潤沢に出ればそれを研究しよう。」と。目下、私達の大学が目指しているのはそれです:潤沢な研究費用。新しい学長の悪口を言いたくはありませんし、立派な人なのかもしれませんが、彼が言うのはこんなことです。

「私達がこれからなすべきことはサービスバンク、データバンクの作成だ。それをコンピューターに取り込んで、誰かの役に立てるようにするのだ。」私が「どういうことですか?」と聞くと「ガリーナ、子供達のグループを調査してきなさい」と言います。「喜んで。ヴェトカ地方が私達に割り当てられています。そこに行ってきますが、調査のための器具をください。私は器具もコンピューターも持っていません。心電図の用紙さえないんです。」と言うと「それならば出資者を探しなさい。それがダメならば耳だけで調査すればいいのです。子供達を聴診して来なさい。」ここでの研究はまさにそうやって行われるのです。仕事に使えるものと言ったら自分の手と聴診器しかないんです。

ネストレンコ教授と同じ厳重なコントロール下にある地方の調査に私達が赴いた時、打ち合わせをしていたわけではありません。教授はスヴェティロヴィッチ学校にセシウムを計測に、私達は子供達の聴診を行いに来ていました。心電図の用紙が不足していたので、私達は子供達を選別しました。聴診器を当て、心臓が悪い、雑音のある子供をメモしました。まあまあ正常の場合はメモをしませんでした。そうやって出来た書類にネストレンコ教授の放射線量を合わせてみたところ、選抜された子供達は被曝量の非常に高い子達だったことがわかりました。被曝量の低い子達は私達の選択から外れていたのです。そして心電図に高い被曝量が記入されました。30の心電図を記録しました。今はこの子供達を医療検査のために招集しています。

心臓疾患は、繰り返しますが、臨床表の過半数を占めています。子供達の心臓は病んでいるのです。鼓動の音がせず、脈がはっきりしません。聞こえるのは雑音です。心臓が変容していくのです。私達に出来ることはなんでしょうか?それを確認し、診断を下すことです。機能的心臓疾患と。私達はこうした変容をまだ機能障害と定義していますが、それが器官の異常に発展しないためにはどうやって子供達を助けたらいいのでしょうか?この問題を気に掛けてくれる人間は誰一人いないのです。


(以上、転載終わり)


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by y_csm521 | 2012-02-04 11:02 | 資料・情報・講演

≪バンダジェフスキー博士の対談の書き起こし、翻訳です。メーリングリスト

ユーリ・バンダシェフスキー教授といえば、内部被曝にかんする子どもの心臓疾患とセシウムとの科学的な相関関係を論証して、2001年に不当逮捕されたベラルーシの著名な病理学者ですが、その夫妻へのインタビューが翻訳されていますので紹介させていただきます。

内部被曝が、がん以外の多様な疾病を誘発するというこの貴重な研究にたいして、2009年ECRRから記念賞も授与されています。このインタビューでは、この研究が夫妻のもとで誕生し教授が逮捕される生なましい現場が語られています。

なお、下記Peace Philosophyのブログに教授の論文が掲載されていますし、訳者田中泉さんによるバンダシェフスキー教授の紹介文も載せられています。(小生も昨年9月29日に配信。)

◆インタビュー出典先リンク
リンク
リンク
【ご参考】
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y・バンダシェフスキー教授

ベラルーシ・ゴメリでの、子どもの非がん性疾患の激増

=====以下、転載=====
MERCREDI 25 JANVIER 2012
「セシウムと心臓疾患の相関関係」ユーリー&ガリーナ・バンダジェフスキーへのインタビュー


チェルノブイリ汚染地域の子供を多数診察した結果、放射性セシウムが心臓疾患を引き起こすことを発見したのは、ベラルーシの医師ユーリ・バンダジェフスキーです。彼はこの事実を発表した後、1999年収賄疑惑や国家転覆計画疑惑をかけられて投獄され、拷問などにも遭うことになりました。そのバンダジェフスキー夫妻へのインタビューを見つけたので翻訳しました。発見にまつわる状況について詳しく語られていて、この発見がいかに医学的にも政治的にも重大な意味を持つのかが伝わってくると思います。オリジナルは映像のようですが、残念ながらフランス語によるスクリプトしか見つかりませんでした。字幕用と思われるスクリプト体のため一部前後関係のわかりにくい部分もありました。ご了承いただければと思います。

ソース

このインタビューを実現させたウラジミール・チェルトコフ氏はチェルノブイリの事故処理を行ったリクビダトールの凄惨にして無残な生涯を取材した映画『サクリファイス』の監督だと教えていただきました。映画『サクリファイス』(24分、日・英字幕付き)はこちらで見られます。

*****

■ゴメリ、2000年4月5日 Wladimir Tchertkoff によるインタビュー


インタビュアー:当時の選択を後悔されていますか? 家族問題を引き起こしたようですが。

ガリーナ:どの問題のことですか? 私たちがここに移住して来た時のこと?

インタビュアー:いいえ、お二人が発見をされて、その発見にブレーキを掛けた時のことです。

ガリーナ:私はブレーキなど掛けていません。一昼夜夫と話し合いをしてどうするかを決めたのです。長い議論でした。まずは家の中で。それから子供達の邪魔にならないように外に出ました。大声で議論しました。 

インタビュアー:外で?

ガリーナ:ええ、外のベンチの上で。涙が出るまで。

ユーリー:普段から私達が科学的な決定をくだすのには激しい議論が伴いました。もしかしたら女性の彼女は家族に面倒が降りかかることになるのを予感していたのかもしれません。

ガリーナ:夫はテレビ番組に出演する決意をして、私に言ったのです。「どんな風に我々がこうした変容、放射能を原因とする心臓疾患を発見したか、すべてを語るつもりだ。」と。 それを聞いて私は家に入って泣きました。科学評議会に私達が初めてこの研究結果を提示すると、全員が「ユーリー・イワノヴィッチ、大成功だな!」と拍手をしました。なのに私は涙がこみあげてくるのを感じたのです。再び夫と激論しました。「番組放映後にきっとあなたは手錠をかけられるわ!」と私は言いました。「何を言ってるんだ!?」と夫。

ちょうどその時に監督(スバと言う名です)から電話があったのです。「おめでとう、ガリーナ・セルゲイエヴナ、番組は大成功でしたよ。ユーリーはすべてをはっきり提示してみせた。この番組は国民からも大きな反応を得ること間違いなしだ!」「でも心配なのは…」と私が言うと「何かご不満でもあるのですか?」と聞くので「ええ、もし夫に手錠が掛けられたらガリーナ・セルゲイエヴナはこの世に独りぼっちになってしまいます」と答えました。すると「何をおっしゃるんです?我々は決してあなた方を見捨てませんよ!第一そんなことは起こりっこありません。あなたは女性だからあれこれ想像しすぎるんです。」と言う返事でした。「時間が経てばわかるでしょう」と私は答えました。

そして本当に恐れたことが真実となり、私は独り取り残されてしまいました。独りきり。私は独りぼっちで空っぽのアパートに帰り、どこから手を付けたらいいのか途方に暮れました。どこに行こう?誰に会いに行こう?最初に思いついたのは、何故かわかりませんが、厚生省に行くことでした。私達の大臣に会って、どうしたらいいか、助言をしてもらおうと。厚生省で言われたことは「時期尚早です。いったい何をおっしゃろうと言うのです?」大臣の控え室で私は言いました「一つだけ言わせてください。バンダジェフスキーは白衣を泥で汚してなどいません。あまり早急に彼を断罪なさらないでください。きっと後悔されることになります。」答えは「そのことについて話すにはまだ早すぎます。あまりに早すぎます。」その後スバ監督から電話がありました。「話を聞きました。あなたの電話は盗聴されていることがわかっています。私はいかなる方法でもあなたのお役に立つことはできません。」

インタビュアー:それだけ?あらゆるケースに備えて事前にそのように言ったのでしょうね。

ガリーナ:そうです。彼は私達の以前の会話を思い出したのです。それでこう言われました。「あなたの役に立つことはできませんが、よかったらロシアテレビの誰かに電話をすることは出来ます。そしてあなたの電話番号を伝えておきます。後はあなたの思うようになさってください。彼に言うことや、あなたの立場をどう説明するか考えておいてください。泣いて、何かを守ろうとしてもいいでしょう。ただ私はこの問題にはこれ以上関わりたくありません。」

インタビュアー:空っぽの家に戻ってから、再び旦那様に会えるでまでどれくらいの時間が掛かりましたか?

ガリーナ:最初に面会を許されたのは…50日後でした。逮捕から50日後。大変公式なものでした。会った時、夫はすでに入院していました。逮捕から50日後、予審判事が公式に面会を許してくれたのです。

インタビュアー:ずいぶん沢山の門戸を叩かれたことでしょう。


ガリーナ:数知れない住所を試しました。まず最初に試したのはゴメリのラジオ局です。そこで言われたのは「出来れば我々のところにはいらっしゃらない方が良いです。我々は何も知りたくありませんし、あなたの問題に巻き込まれたくありません。我々は皆仕事が必要ですからね。」次に私は厚生省に行きました。出来る限りの方法を試みました。

ユーリー:彼女は考え得るすべての場所に行ったんだ。

ガリーナ:だけどどこも門戸を閉ざしたままでした。そして言われる言葉はひとつだけ「時間に任せなさい。」(ネストレンコ博士を指しながら)この人物に深い感謝の意を表します。彼だけが初めて何者も恐れずに私に手を差し述べてくれたのです。本当は彼ほど私達の状況を恐れなければいけない人間はいないのに。終始私を支えてくれました。助言が必要な時にはミンスクの彼のもとを訪れました。彼は経済的にも助けてくれました。ポケットからお金を出して「どうかこれで何かを買ってください」と言うのでした。一方他の人々と言ったら…。

「夫に荷物を送るために支援してもらえますか」なんて物質的な援助は頼む気にもなりませんでした。私が望んでいたのはただ一つ:みんなが夫を信じてくれること。夫が十年間に渡って家族を犠牲にしてまで続けた仕事の助手だった弟子達が彼を信じ続けること。夫は十年間に渡って朝の七時から真夜中まで、膨大な量の仕事をこなしていました。祝日にも、私は「どこかに行きましょう」なんて提案出来ませんでした。祝日さえ、働き続けたのです。絶えず仕事、仕事、仕事。その仕事が導いた先がこれでした。

私達が、心臓発作と放射性セシウムの体内への蓄積との間に相関関係のあることを発見した時、家族争議になりました。激烈な争議でした。何故なら私はこの相関関係を認めたくなかったからです。これは発見でした。私達は何か新しいこと、今まで知られていなかったことを発見している真っ最中なのでした。そして夫は「これは事実なのだよ」と私に言い、「二人で一緒にこの相関関係について論文を書くのだ」と言うのでした。彼は論文審査官でしたから。

インタビュアー:何故あなたは相関関係を認めたくなかったのですか?

ガリーナ:私は違う考えだったのです。怖かったから。この発見が怖かった。

インタビュアー:どうして?

ガリーナ:第一にたぶん、新しいことだったから。

インタビュアー:しかし科学的成功ではないですか?

ガリーナ:成功ですけど…、私達の国では放射能についてこれほどの公表の行われたことはないのです。

ユーリー:放射能について語られることはなかったんだ。

ガリーナ:そうなんです。幼児における放射能の影響について語られることはありませんでした。いろいろな国から委員会や検査官が小児科を訪問しに来て「放射能に由来する疾患は見られますか?」と質問するのですが、答えは決まって皆「甲状腺癌」の一辺倒。

インタビュアー:それだけ?

ガリーナ:それだけです。私はゴメリに来てすぐに子供達、年齢の行った子供達の聴診を行いました。そしてすぐ、子供達の間で不整脈があまりに頻発することに衝撃を受けたのです。薬剤調整を施さなければならない子供もいるくらい強度の不整脈です。不整脈を矯正する治療を受けるためにミンスクまで行かなければならないケースもあります。これはかつては成人だけの問題だったのに、今では子供達がそうした治療を必要としていたのです。グロドノ市にいた頃に子供に不整脈が観察されたら、稀有な現象と捉えられたものでした。稀に見る深刻な事態で、即座に治療が必要とされました。

ところがここゴメリでは、この稀に見る深刻な疾患が、どんどん頻発するようになっていたのです。私はユーリーと仕事から帰って議論したものでした。ユーリーは「健康な子供達を調べてみよう。幼稚園に通っている子供達だ。」と提案しました。そこで私達はゴメリ保育園の乳幼児を診察しはじめ、彼らの心電図を記録しました。さらにはズロビン、スヴェトロゴルスク、そしてヴェトカ市の子供達を調べました。そうやって私達が発見したのは、健康な子供達の60パーセント以上の心電図に変容の見られることでした。

心電図は病理を記録します。私達はこのデータの隣りに、子供達の器官から測定されたガンマ線の量(これはセシウム137によって放射されるものです)を書き込んで両者を比較してみたところ、明確な一貫性を確認することが出来たのです。不整脈は、セシウムの蓄積が高い子供に現われるのでした。(高いというのは20Bq/kg以上を考えています。)この不整脈はブロックの形で現われます。ヒス束の右脚ブロックや房室ブロックです。刺激伝導系の障害と心筋の脱分極化障害とが組み合わさっている子供もいました。セシウムの蓄積量が多いほど、心電図に現われる異常は深刻だったり複雑だったりするのでした。

インタビュアー:そして あなたはそうした事実の解明が引き起こす政治的な危険を予測されたわけですね?

ガリーナ:そうなのです。まず私は怖くなりました。そう、家族のことを思って怖かったのです。自分自身の身が怖かったわけではありません。何故なら研究の指導教官は夫だったのですから。私は夫に「ねえ、もしかして急に何かが間違っているとしたら?私達はどこかでミスをしているのかもしれないわ。世界に向けてこの発見を発表するのに…」と言いました。彼の答えは「我々がミスをしていることなんて有り得ない。調査のベースになっている心電図の量は膨大だ。」と言うものでした。

ユーリー:心臓について研究をしているのはガリーナ一人ではなかったことを付け加えておきましょう。私の学部には他の研究者による一連の論文や研究が存在するのでした。私が最新の著書の中で指摘したように病理解剖実験や動物実験も存在します。

インタビュアー:ではあなたは確信を持ってらしたのですね?


ユーリー:そうです。こうしたすべての研究に基づいた科学的確信です。しかし放射性セシウムの体内蓄積と心臓疾患の相関関係については、こうした子供達の調査結果をベースに彼女と初めて研究したのでした。例えば心電図の束を取り上げ、その一つ一つに心臓に蓄積した放射性物質の量を記入しました。[心配そうに]呼び鈴が鳴った…

ガリーナ:大丈夫、子供達よ。

ユーリー:こんな感じです。20Bq/kg とか34Bq/kg…それからパラメーターに即して分類しました。(グラフを見せながら)このような結果になりました。このグラフが現在の結果を表しているのです。これはベラルーシ全国から集めたデータをもとに実現させました。ゴメリやグロドノだけのデータではないのです。ミンスクや数多くの他の場所も含む膨大な量のサンプルです。私達の得た結果によると、キロあたり0~5ベクレル(測定器の誤差も考慮に入れて)前後の被曝量ならば、子供達の80% は心電図にいかなる
異常も示しません。セシウムがまったく存在しない場合は、85%の子供達が多かれ少なかれ正常に成長することを保証できます。しかし体内のセシウム量が増加すると、健康な子供の割合は係数に従って減少していくのです。セシウムの量がキロあたり70ベクレルを越えた場合、健常と言える状態の心臓は10%足らずになってしまいます。

インタビュアー:この相関関係は一貫しているのですか?

ユーリー:そうです。あらゆるデータに基づいています。それも因果関係以上の、ほとんど科学的法則と呼んで良いくらいものです。因果関係と言うのは多くの傾向が類似する場合を言います。分量と変容との間の因果比率です。このことは以前にも示されていました。しかし現在わかったことは、私がいかなるデータを使用しようと、いかなるグループのデータを取り上げようと、この分量と変容との関係が係数に従って動いていることです。この相関関係の一貫性はすでにひとつの「法則」の要素です。さらに付け加えたいのは、心臓だけでなく脳やその他の器官においても、新陳代謝のシステムや酵素の活動の調査を行うと、同じ現象が観察されることです。しかし残念ながら、私には…我々には今のところそれを証明するための資金がありません。

インタビュアー:他の器官でもですか?

ユーリー:そうなんです!ところが我々に十分な調査用の器具がないのです。これを調べるには膨大な労力が必要です。私達はまだ発見の扉口に立っているのに過ぎない。ここに私の弟子達の調査の成果が山とあるのにも関わらず。これで全部ではないですが、大部分がここに含まれます。心臓について、そしてその他の内臓についてのデータがここにあるのです。

ガリーナ:セシウムとの関係を表すデータです。

ユーリー:この数年間我々が実現し得たことがこれらの論文の中にあります。私にとっては大変な価値です。本以上の価値です。何故なら論文というものはそれぞれきちんと検証された具体的な一次資料に基づいて書かれるものだからです。非常にレベルが高いものです。

インタビュアー:つまり他の器官についても研究することが出来たのですね?

ユーリー:そうなんです!


(次の記事に続く)

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by y_csm521 | 2012-02-04 11:01 | 資料・情報・講演


次世代へのメッセージ
「原発ゼロ」社会の実現を!
菅谷昭さん(松本市長)&
上田文雄さん(札幌市長)
大いに語る!


●と き:2012 年2 月4 日(土) 15:00~17:00
●ところ:北海道クリスチャンセンター
(札幌市北区北7 条西6 丁目)
●参加費:1,000 円(前売り一般800 円・学生500 円)
申込み・問い合わせ 担当:佐藤 典子
TEL 011-200-2206(市民ネットワーク北海道内)

※定員(180 名)になり次第締めきります。

東京電力福島原発事故により、大量の放射性物質が拡散し、粉ミルクからも放射性セシウムが検
出されるなど、放射能の被曝問題が深刻化しています。放射性物質を公害物質として規制し、健康
被害や環境汚染を防止する法律の制定が必要です。

チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシで甲状腺がん患者への医療支援活動を行ってきた菅谷
昭さん(松本市長)を迎え、「脱原発依存」の姿勢を鮮明に打ち出した上田文雄さん(札幌市長)とともに、「今、市民が何をすべきか」を提言していただきます。

次世代に持続可能な社会を引き継ぐため、脱原発を「汚染なき脱原発」ですすめるため、ともに考
え、ともに行動しましょう。

◆基調講演「次世代へのメッセージ ~ チェルノブイリから学ぶこと」
講師:菅谷 昭さん (長野県松本市長)
◆対 談 「市民の力で 脱原発社会を!」菅谷昭さん&上田文雄さん(札幌市長)
コーディネーター 山本行雄さん (弁護士)

主催 「放射能汚染防止法」を制定する札幌市民の会

<呼びかけ団体>
生活クラブ生活協同組合、NPO 法人北海道ワーカーズ・コレクティブ連絡協議会
市民ネットワーク北海道、環境市民連絡会・札幌、子どもの未来を守る市民の会
原発公害に取り組む札幌市民の会

<菅谷昭さんプロフイール>
1943 年 長野県生まれ
1968 年 信州大学医学部卒業
1991 年 NGO によるチェルノブイリ
原発事故の医療支援活動
に参加
1996 年 ベラルーシ共和国に渡り、
国立甲状腺がんセンター
にて小児甲状腺がんの外
科治療を中心に、医療支
援活動に従事
2002 年 長野県衛生部長就任
2004 年 長野県松本市長、
~ 現在2 期目

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by y_csm521 | 2012-02-02 01:26 | 資料・情報・講演

(泊原発の廃炉をめざす会共同代表・むすびば共同代表・北大名誉教授の小野有五先生のメールの転載です。主催は、私の大学の同窓生です。COSMOS)

1月8日(日)夜18時半より(開場は18時)
エルプラザ3Fの大ホールで、
大船渡から来られる山浦玄嗣さんの講演会がございます。
山浦玄嗣氏wikipedia
NHK教育 こころの時代~宗教・人生~ ・山浦玄嗣「ようがす 引ぎ受げだ」 (1) (ブログに紹介されたもの)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
山浦玄嗣特別講演会 

津波を乗り越えて「さあ、行こう!」
~新しき≪よきたより≫~

2012年 1月8日(日)
18:30 開演
札幌エルプラザ3階ホール

◆ 主催・異文化・郷土文化を学ぶ会(通称 あったけの会)
       益田 ℡011-899-3223・090-8272-2149
◆ 共催:東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌 むすびば 
     カトリック札幌地区
◆ 後援:イーピックス出版 (大船渡印刷出版部) 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

山浦さんは、大船渡で個人医院を開いているお医者さんですが、「ケセン語」で聖書を翻訳した人としても世界に知られています。これまで「方言」としてさげすまれてきた東北の言葉を、豊かな「ケセン語」として見直し、今回、津波で最初の原稿をすべて流されるという大変な目にあいながら、すべてをやり直されて、ケセン語だけでなく、日本中のさまざまな地方語(津軽弁、盛岡弁、鶴岡弁、関西弁、山口弁、長崎弁、薩摩弁など)を駆使して、聖書を訳されました。
その試みはまさに世界的で初めてのことで、言葉の平等性だけでなく、それぞれの言葉のもつ特色をみごとにつかまれたすばらしい作品になっていると思います。

8日は、津波のあと、自らも被災されながら、医院におしかける人たちとどのように、地域を再建されていったか、ということを中心に、じっさいに津波に会われた方にしか語れない思いを語っていただく予定です。
日曜の夜という、集まりにくい時間帯ですが、めったにない機会ですので、どうぞ一人でもたくさんの方のご参加をお待ちしております。

参加チケット1,000円ですが、当日、受付でお求めになれます。また、大丸藤井プレイガイドでも取り扱っておりますので、ご利用ください。

では、できるだけ多くの皆様と、8日にお目にかかれるのを楽しみにしております。

小野有五


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by y_csm521 | 2012-01-03 12:07 | 資料・情報・講演


【テロップ】:核燃料サイクル

【解説】:核燃料サイクルとは、原発から出る使用済み核燃料を循環させるシステムです。再処理をしてプルトニウムを抽出します。それを高速増殖炉などで、再び燃料として使用するというものです。国がこの核燃料システムの完成を急いだのには、国際情勢の変化があったといいます。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1989年10月12日

【テロップ】:外務省 遠藤哲也

[外務省 遠藤哲也]:「そもそもの始まりというのは、インドの、1974年の、確か5月だったかと思いますけど[◆註:41]、インドが核実験をやったと・・・」

[◆註:41]インドの核実験は、1974年5月18日に初めて行われた。この核実験はそのコードネームから微笑むブッダ (Smiling Buddha) とも呼ばれて
いる。

[外務省 遠藤哲也]:「核の平和利用だというけれども、いづれにしても核爆発をやったということで、アメリカが、これはうっかりしたら、核が世界に拡散していって、大変に国際政治上の不安定要素を引き起こすと[◆註:42]。NNPAという、例の1978年の核不拡散法をアメリカで作ってですね、これはまぁ、勝手極まりない法案ですけれど、国内法を作ってですね、『お前も(この法案を)飲め』と、各国に要求した(わけなんですよね)。アメリカは力が強いですから、あんなふうに言えるんでしょうけれど、押しつけてきたと・・・」

[◆註:42]外務省の遠藤哲也官僚は、インドの核兵器開発には厳しく言及しながら、イスラエルの核兵器保有に関しては全く触れていない。意図的な政治性を感じる。

 デビッド・ベングリオン初代首相は、首相就任早々、核兵器開発に乗リ出していた。その時、国防省文民シモン・ペレス氏(後に首相)を秘密核開発プロジェクトの事務局長役に、有機科学エルンスト・バーグマン教授を技術責任者に任せた。ペレス氏は、フランスと秘密の核技術協定を締結し、イスラエル南部のネゲブ砂漠にある、ディモナにフランスの協カで「ネゲブ核研究センター」を建設した。こうした経緯は、米民間調査機関、国家安全保障公文書館の上級研究員アブナー・コーエン氏らの研究で既に明らかにされている。

 米中央情報局(CIA)は1960年にも、同センターでの核開発を察知した。ベングリオン首相は米側の指摘に対し「平和目的」の核開発と回答した。
 ケネディ大統領は核拡散防止に積極的で、イスラエル側に現地査察を要求。米政府専門家は1961年~1969年の期間中、年に一回程度の割合で、現地訪問したが、重要部分は視察できなかった。

 後を継いだジョンソン米政権は、現地視察を認めさせる代わりに、武器を供与する妥協策をとり、M48戦車やF4戦闘機などをイスラエルに供与した。
 この間、イスラエルは核兵器開発を既成事実化することに成功した。
 1969年9月26日、ホワイトハウスでのニクソン大統領とゴルダ一メイア・イスラエル首相の会談で、「イスラエルの核兵器保有に関してはあいまい戦略で通す」ことで同意。この首脳会談の議事録も、首脳会談に先立つ国家安全保障検討メモ(NSSM)40号も極秘で未公開。両首脳は《1》米国はイスラエルの核保有の翼を受け入れる《2》イスラエルは核実験や核保有宣言といった明白な行動をとらない・・ことに同意した。実際、イスラエル政府は、現在に至るまで、核兵器の保有を肯定も否定もしない政策を堅持している。

 イスラエルが、もしも、核兵器を保持していないのなら、モルデハイ・バヌヌ氏を国家反逆罪で、1986年以来18年間も禁固刑にしたり、釈放後も、依然、バヌヌ氏の発言を警戒し、1年間の海外渡航禁止など、外部との接触を制限する、人権蹂躙の非人道的な措置をバヌヌ氏に対して取り続けるのか!!
 外務省官僚の遠藤哲也氏が、バヌヌ事件を知らない筈はなかろう。イスラエルの核兵器保持、バヌヌ事件をほとんど報道せず、黙殺し続けてきているNHKの報道姿勢は、アメリカやイスラエル一辺倒の、世論誘導報道と言わねばならない。

[元 通産省 島村武久]:「まだ再処理工場は(?)にも入っていないのだから、何ですけれども、あれ(再処理工場)がね、本当に皆が願うように完全に動きだしたらね、(プルトニウムが)とても余ってしょうがない・・日本の(プルトニウムがです)ね。見通しから言うと・・・。そうすると、ランニングストップやる。何か、日本が必要とする物をアメリカが認めるだろうけど・・。当面、使用の見込みのないプルトニウムのほとんどを、再処理工場で製造すること(に)はね、アメリカが黙って許せるだろうか?私が危惧するには・・・だいぶ昔から『アメリカに反対する根拠はない』、とかなんとか、(日本の政治財界のある人たちは)言っているけれどね・・。

実質的には、それこそ、(外務省の)遠藤(哲也)さんが、さっき言われたようにね、アメリカは行政府じゃなくって議会(が政策決定に大きな影響を持っている国)ですから・・。すると(アメリカ)議会がまた騒ぎ出して、『日本国民はプルトニウムを貯めてるじゃないか』となってくると・・いやぁ・・(そんなことにでももしなると)問題だし・・。仮に(再処理工場が)技術的に旨く(再処理工場が)動い(たとし)てもですよ、動かせないと運搬ができないと・・そのようなことにでもなると、その損失というのが相当な問題になるというふうに思うんですよ」

【テロップ】:インドの核実験 (1974年5月)

【解説】:1974年、インドが核実験に成功します。核爆弾の材料となるプルトニウムは、平和利用の為の原子炉で抽出されていました。[◆註:43]

[◆註:43]「原子力の平和利用」と「軍事利用」の区別は不可能である。両者は「一枚のコインの裏と表の密接不可分の関係」にある。

【テロップ】:アメリカ大統領 ジミー・カーター

【解説】:アメリカ、カーター政権は、核不拡散の為に、ウラン燃料を厳しく管理する政策に転じます。

【テロップ】:日米原子力協定交渉[◆註:44]

[◆註:44]インドの核実験を背景とした「日米原子力協定改訂」の動きは、1977年の「東海再処理交渉」に始まり、その翌年の1978年から本格的に動き始め、紆余曲折を経て、チェルノブイリ事故の2年後の1988年に、ようやく妥結している。

 ちなみに、最初の日米原子力協定は、米国から研究用原子炉と濃縮ウラン供給を受けるための「研究協定」が1955年に締結。3年後の1958年には低濃縮ウラン供給を受けるための、いわゆる「一般協定」が締結。1968年にも商業用原子炉も対象とする「包括的協定」(1973年に一部改訂 )も締結されてい
る。
 日米原子力協定(1988年)の成立経緯と今後の問題点、遠藤哲也著(H22年11月)
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/64668029.html

【解説】:日本は、アメリカから使用済み核燃料の使用法を注視されるようになりました。日本はプルトニウムを軍事利用しないことを示す為、一刻も早く、プルトニウムを燃やす新型炉を完成させる必要がありました。
 (原子力関連メーカの研究投資の)予算の(1984年を境に、原子炉関係から核燃料関係へと大きく)重点配分(が転換した)の背景には、こうした事情がありました。

【テロップ】:チェルノブイリ原発事故 1986年4月26日

【解説】:1986年4月、ソビエトのチェルノブイリ原発で事故発生。自己評価レベル7。これまで人類が経験したうちうで最悪の原発事故となりました。ヨーロッパ一円に広がった放射能汚染の実態は、未だ全容が明らかになっていません[◆註:45]。

[◆註:45] チェルノブイリ原発事故では京都大学原子炉実験所助教今中哲二氏の精力的な調査研究がある
「チェルノブイリによる放射能災害 国際共同研究報告書」
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/J-Version.html
「放射能汚染調査から見た福島とチェルノブイリ」
http://www.youtube.com/watch?v=9U1FKpWiVmg
参照

【解説】:島村研究会でも当然、この歴史的大惨事は取り上げられていました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【テロップ】通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕]:「この間、ヨーロッパの人たちと議論していてですね・・うーん・・・・フランスの政府の人と、あとOECDの人がいましたけれど、チェルノブイリは非常に良かったと言うんですよね。チェルノブイリ(事故)がなぜよかったかというと、まずそのチェルノブイリ事故が起こったことで、もちろん、さっきのそのソ連の体制がおかしくなっただけじゃなくて、ソ連でもがむしゃらに原子力をやらなくなったと・・。で、東欧圏も原子力をやめになったと・・・。それから発展途上国でもですね、原子力をやることに非常に慎重になったと。結果として日本が一番得するんじゃないかと。要するに、石油危機の時にも同じようなことを言われたんですよね。石油が、その・・・足らなくなって、脆弱で一番困るのは日本じゃないかという俗説に対してね、石油をもっとも効率的に使う技術なり、産業ポテンシャル(潜在力)が一番高いのは日本だから・・・(だから)日本が一番得するだろうと・・・。

[通産省 谷口富裕]:「で、今度のチェルノブイリ(事故)なんかでもですね、そういう意味で原子力技術はなかなか難しくて大変で、かつその、それぞれ各国で目いっぱい社会情勢をふまえてやっている中で、ブレーキがかかった時に、一番改善の能力と持ちこたえる能力今あるのは、日本じゃないかと(私は思うんですけど)」

【テロップ】:東京電力 柏崎刈羽原子力発電所

【解説】:東京電力が新潟柏崎、刈羽に最新式の世界最大の原子力基地を完成させたのはチェルノブイリ事故の後でした。[◆註:46]

[◆註:46]東京電力柏崎刈羽原子力発電所の着工は1978年12月。最大出力が6号機及び7号機の出力135.6万キロワット。運転開始が1984年11月。新潟県柏崎市と同県刈羽郡刈羽村に跨る二つの行政境界線上の土地に敢えて原発を設置したのは、原発交付金の札束をちらつかせることで、両自治体住民の間での互いの欲望の競争心を煽る目的からでもある。

【テロップ】:伊方原発訴訟最高裁判決 1992年10月29日

【解説】:1992年10月29日。一審以来19年間争われた伊方原発訴訟が結末を迎えました。

【画面】:最高裁裁判所正面および最高裁判事以下5名が並ぶ最高裁第一小法廷の光景

【解説】:上告棄却。原告住民の敗訴が確定します。原子炉設置許可は各専門分野の学識経験者などを擁する原子力委員会の科学的専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的判断にゆだねる趣旨と解するのが相当である。周辺住民が原子炉設置を告知されたり意見を述べる機会がなかったことは法による適正手続きを定めた憲法違反とはいえない
「最高裁判所判決 理由」より

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良
[原告側弁護団長 藤田一良]:「とにかく最悪の判決だ、というふうに思いました。最高裁がこういうふうに不誠実な判決を出す、司法としてあるまじき判決を出す、ということであれば、原発に関してどのような大災害が起こり、そして、国民の(不詳?)にそれが降りかかるという事態に対しては、最高裁も共同して責任をとらなければならないと、そういうふうに考えました」[◆註:47]

[◆註:47]この伊方原発1号炉差し止め訴訟の最高裁判決(第一小法廷)で不当判決を下した判事5名は、裁判長小野幹雄、陪席裁判官大堀誠一、同橋元四郎平、同味村治、同三好達の5名。なお、判決は全員一致、意見なし、反対意見なしの最高裁判事5名全員の「政府御用学者原発村民の主張丸投げ丸任せ」判決であった!

 この5名の最高裁判事の中の一人味村治(みむら・おさむ。2003年7月死去)判事は、福島第二原発差し止め訴訟でも上告棄却の判決を下した後、70歳で最高裁判事を定年退官。退官後は弁護士となり「勲一等旭日大授章」の最高位の勲章を受け取った後、98年からの2年間、福島第二原発差し止め訴訟を上告棄却判決した「功績」を東芝から評価された代償であろうか、東芝の社外監査役に天下っていた!

【解説】:これ以降、原発立地を巡る裁判で、原告勝訴が確定した裁判は、未だ一件もありません。安全審査の妥当性を司法審査でチェックする道が絶たれる中、原発の安全神話が広く定着することになったのです。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【テロップ】通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕]:「日本の電力会社っていうのは、諸外国、先進国の電力会社に比べると相当特殊な感じがありまして・・。何が一番特殊かというとですね、その・・・日本の電力会社っていうのは、際だって立派っていうか・・・その・・・諸外国の電力会社に比べると、強力な組織なわけですね。それは、地方へ行ったらもっとさらにですね・・地方の電力会社っていうのは、地域の本当の、文字通りのリーダーっていうか、殿様というか・・・そういう感じがあって、地域の開発の隅々まで、電力会社に依存しているような図式がありましてね・・」

【解説】:そしてあの日を迎えます。

【画面】:3・11福島第一原発事故発生直後の現場の上空撮影の映像

【テロップ】:撮影:陸上自衛隊

【解説】:問題点を指摘されていた福島第一原子炉のマークI型。

【テロップ】:映像提供:東京電力

【解説】:耐用年数とされた30年を越え、40年も越え、更に10年の使用延長許可を得た矢先でした。建屋の損壊、放射能の放出という、最悪の形で廃炉が決まりました。

【テロップ】:東京 新橋

【テロップ】:原子力政策研究会 2011年7月

【解説】:日本の原子力の歩みを記録に残してきた島村原子力政策研究会。今も島村武久氏の後輩の世代によって、会合は続けられています。

【テロップ】:元 日本原子力発電副社長 浜崎一成さん

[元 日本原子力発電副社長 浜崎一成]:「起こる筈のない事故が起きたと・・まさにこれは・・・え~・・・こんな事故は起こる筈がないし、まぁ、起こしてはならない事故であるというふうな認識姿勢であったのが、実際には事故が起きてしまったと・・・」

【テロップ】:元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎さん

[元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎]:「この『起こる筈の無い事故が起こった』と言う表現は、読み様によっては、非常に奇妙な表現でもあるわけなんですよね。もう少し言い方を変えれば『起こる筈は無いと思っていた事故が起こった』と言うのなら
皆さんそうだなぁ・・・って思いますけれども・・」

【テロップ】:元日本原子力研究開発機構理事長 殿塚猷一さん



[元日本原子力研究開発機構理事長 殿塚猷一]:「起こる筈がないよねぇ・・と我々が思っていたという、その一つの思いこみというのが・・・あ~~・・・かなり原子力ムラしか通用しないというふうに言われた、独占性の気持ちというものを表現しているような意味にも取れるんだよねぇ・・」

【テロップ】:元外務相科学技術審議官 遠藤哲也さん

[元外務相科学技術審議官 遠藤哲也]:「日本の国はもう信用されてないと思うんですよ。いくら日本の国が言ったってダメだと思いますよ」

[元 日本原子力発電副社長 浜崎一成]:「そりゃぁねぇ・・・遠藤さん、政治の指導力によるんじゃぁないですか?・・・そういう・・」

[元外務相科学技術審議官 遠藤哲也]:「いやぁ私は、誰が来たってですね、ろくな政治家なんて来っこないですよ・・・」

[元 日本原子力発電副社長 浜崎一成]:「いやぁ・・・だから、遠藤さん・・・いずれにしてもねぇ・・国民の理解と地元の合意が無ければ、原子力っていうのは、やっぱりもう継続して出来ないわけでしょう・・?」

【解説】:メンバー全員、事故後も変わらないもの。それは日本には、原子力は必要だという信念です。

【テロップ】:元中部電力副社長 伊藤隆彦さん

[元中部電力副社長 伊藤隆]:「じゃあ、そこで簡単に原子力をやめてしまっていいのか。どうなのか?いやリスクがゼロでなければ止めてしまっていいのか・・?やはり、原子力というものを離れて、日本全体を考えた時には、じゃぁ日本の将来はどうなるんですか?エネルギー無しに日本はやっていけないわけなんで・・」

[元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎]:「だからエネルギーの究極は原子力っていうか、核反応、あるいはその核の崩壊によるものだと・・。だから、それをどのように安定して、安全に使うかっていうのは、まさにもう人間の知恵次第ではないかと思うんで・・」

【テロップ】:元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎さん

[元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎]:「一口で言えば、日本は石炭も石油も無いわけですから、エネルギーとして頼るのは原子力しかないわけですから、だから非常に危険なものであっても、これを何とか飼い慣らして・・・ええ~~・・・その・・・ちゃんとしたものに仕上げなくちゃいけないっていう、そういう発想へ、ずっと今まできていると思いますね」

【解説】:ある時は立地を進めるため、ある時は稼働率を上げるため、安全という言葉はいつも口にされてきました。しかし、それが誰の為の安全であったのか、今初めて、厳しく問い直されています。
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NHKETVシリーズ 原発事故への道程(後編)そして"安全神話"は生まれた
[2011年10月23日放映]
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資料提供
立教大学共生社会研究センター
埼玉大学共生社会教育研究センター
内閣府原子力委員会
原子力公開資料センター
原子力資料情報室
京都大学原子炉実験所
共同通信社
毎日新聞社
朝日新聞社
読売新聞社
愛媛新聞社
社団法人日本原子力産業協会
伊方町
日本地質学会
NRC
NBC
News Archives Asles
クルチャトフ原子力研究所
東京大学工学・情報理工学図書館
財団法人放送番組センター
独立行政法人理化学研究所
日野 増雄
今中 哲二
熊野 勝之

取材協力
今中 哲二
熊野 勝之
田中 俊一
日野 増雄
斉間 淳子

語り
広瀬 修子

声の出演
81プロデュース

撮影 井上 衛
照明 木村 文義
音声 鈴木 彰浩/会田雄次
映像技術 杉澤賢太郎
CG制作 福田亮介
音響効果 細見浩三
リサーチャー 和田京子
取材 伊藤夏子
編集 田村 愛
ディレクター 森下光泰/松丸慶太
制作統括 増田秀樹



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by y_csm521 | 2011-11-28 13:15 | 資料・情報・講演



【テロップ】:高松高等裁判所 公判 1983年3月4日

【画面】:第22回口頭弁論調書
昭和58年(1983年)3月4日午前10時
高松高等裁判所
宮本 勝美
山脇 正道
磯尾  正
小松 一郎

【解説】:原告側は一審の証人であった、内田秀雄原子力安全委員の証人尋問を求めます。

【画面】:
被控訴指定代理人
  昭和五八年三月4日付書証認否書に基づき各書の成立を、写しについては原本の存在も認めた。
控訴代理人
  2号証の認否は次回にする。
控訴本人 廣野房一の弁論
  別紙のとおり陳述。
控訴代理人
  準備書面(六)(昭和五八年三月○日受付)陳述。
控訴人、補佐人久米三四郎の弁論
  別紙の通り陳述。

【解説】:これに対し、国側は、審理は尽くされていると、早期の結審を求めます。その結果、裁判長は弁論集結を宣言しました。

【画面】:・・・る意見書」と題する書面陳述。
四 本件については右二で述べたとおり審理はすでに尽くされているから早急に結審願いたい。
証拠関係別紙のとおり
裁判長
弁論終結
 右弁論結論の告知直後、「判決言渡し。期日は追って」との告知と同時に控訴代理人藤田良一、同仲田隆明、同熊野勝人ほか数名の控訴代理人から「異議の申し立てをする、裁判官を忌避する」との発言があった。

【解説】:翌年、1984年(昭和54年12月14日)、控訴は棄却。原告住民は上告しました。

【テロップ】:伊方原発訴訟 控訴棄却 1984年12月14日

【解説】1970年代になると、原発政策の担い手たちの間では、原発の稼働率の低さが問題にされるようになっていました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年  通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕:「電力の技術屋さんというのは会社によって非常に差がありますけれど、まぁ、一般的には技術のユーザーだということですね。私なんか、その・・嫌みで、電力の技術屋さんは、電話をかける技術屋さんが非常に多いんじゃなかと、言っているんですけどね。まさにその自ら技術の改良とか、基本的対応というのを、積極的に取り組むようなトレーニングを受けていない。あるいは能力を開発していない、というのは明らかにあって、基本のところは自分でデザインしたり、開発したりをしたわけじゃないですから、運転とかメンテナンスや、きめ細かいところの改良は、得意なんですけどね。根っこまで入っていくと、技術基盤が十分強いのかなと思いますけどね・・」

[元 通産省 島村武久]:「電力会社はね、何にもできないのかと。検査も、受け入れも。疑問があるんですよ。物を買ってね、悪かったから取り替えろは当たり前かもしれないけれど、自分で買ったものを動かしておいて、そしてそれが自分も気が付かない」

【解説】:この頃、各地の原発では故障やトラブルが続出していました。その度に、長期間運転を停止しなければなりません。原発のメリットは燃料費が安いため[◆註:33]、電力を安価に供給できる[◆註:34]ことでした。そのメリットが生かせません。

[◆註:33]「原発のメリットは燃料費が安い」とするこのNHKのコメントは、明らかに間違い。原発推進派の燃料費計算をそのまま「鵜呑み」「横流し」報道しているだけ。ウラン核燃料の国際価格は、ウラン鉱石採掘から使用済み核燃料の最終処分処理工程に至るまでの全工程でのコストを考慮していない計算法に基づく価格だけを報道している。

[◆註:34]原発は「電力を安価に供給できる」とのこのコメントも間違い。原発の電気は水力発電や火力発電など原発以外の発電単価より、はるかに高くつく。原発の発電コストを、どこまでコスト経計算に含ませるかを、詳しくチェックせず、現行の電力会社の原発発電の単価をそのまま受け売りし、「メリットである」と解説する報道は、私は問題と思う。

【画面】:原発の稼働率(設備利用率)[◆註:35]

[◆註:35]この画面も問題と思われる。原発の稼働率(設備利用率)のグラフを示すなら、全国の火力発電や水力発電の原発の稼働率(設備利用率)も、なぜ、同時に比較して映さないのだろうか?
小出裕章氏の以下のURL
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/msm081026.pdf
の9頁の図5 日本の発電設備の量と実績(2005 年度)の縦棒グラフ図参照
原発の稼働率(設備利用率)だけを画面いっぱいに放映するNHKの報道(編集)姿勢は、「原発推進の国策の後押し報道」と思われても仕方がないのでは・・・?

【解説】:原発の稼働率をグラフにしたものです。原子力発電が本格化した1970
年以降、稼働率は低下を続けていました。

【画面】:1970年の原発稼働率:74%が、年々低下し、1975年では42%にまで低下している折れ線グラフの映像(縦軸に稼働率。横軸が年度。出典:原子力施設運転管理年報)

【解説】:当時、東京電力の原子力保安部長だった豊田正敏さん。財界から稼働率を上げるよう要請があったといいます。

【テロップ】:元東京電力副社長 豊田正敏さん

[当時 東京電力原子力保安部長(元東京電力副社長) 豊田正敏]:「トラブルが多くて止まった時はね・・・あれから(あの人から、という意味か?)・・・経団連の会長だった土光さん[◆註:36]から『おい、何とかしろ』と言われたのですよ」。

[◆註:36]エンジニア、実業家。東芝社長。第4代経済団体連合会(経団連)会長の土光敏夫(どこう・としお:1896年~1988年)のこと。我が国の国策としての原子力発電を牽引しリードしているのは政府(国家権力)だけでなく、その背後に巨大独占企業が君臨していることを物語るエピソード。

[当時 東京電力原子力保安部長(元東京電力副社長) 豊田正敏]:「そんなことを言ったって、任してくださいよ、ともかくね、って・・・。そんなに今日言われて、今日やって、すぐにね稼働率は上がるものじゃないのでね。数ヶ月とか一年はかかりますよ、と言ったんです」

【画面】:「通産省 わが国独自の軽水炉技術確立に本腰」「改良標準化委が発足」「近く耐震性なども検討へ」の見出しの1975(昭和50年6月26日)年付の新聞紙面記事

【解説】:1975(昭和50年6月26日)年、国は原発の改良に取り組む委員会、改良標準化調査委員会を、通産省の中に設置します。故障やトラブルの原因となる機械の欠陥を改良し、国内の原発の新たな企画を作ることで、稼働率を上げようとするものでした。

【解説】:これは原子炉にかけられた投資額をグラフ化したものです。改良標準化が始まってから原発に注がれる資金は急増しています。

【画面】:原子力関連メーカーの研究投資額(原子炉関係)
1972年の60億円から次第に増加上昇し1984年頃では350億円にまで急増している折れ線グラフが表示
(縦軸に投入資金額。横軸に1972年~1995年までの年代。出典:原子力産業実態調査報告)

【解説】:電力会社は稼働率の高い新しい型の原発を導入することに力を入れています。そんな中、アメリカから思わぬ知らせが入ります。アメリカ議会公聴会での証言です。

【テロップ】:元ゼネラル・エレクトリック(GE)社技術者 デール・ブライデンボウ

[元ゼネラル・エレクトリック(GE)社技術者 デール・ブライデンボウ]:「問題を検証し、正しい判断を下す基準が見当たらないと言っているのです」

【テロップ】:マークI型原子炉

【解説】:福島第一原発などで採用している原子炉マークI型には、重大な事故に繋がる問題点があることが指摘されたのです。

【テロップ】:元ゼネラル・エレクトリック社技術者 デール・ブライデンボウさん

[元ゼネラル・エレクトリック社技術者 デール・ブライデンボウ]:「いくつかの原発は、すぐに運転を停止すべきだと思いました。安全かどうかの調査が終わるまでは、電力会社に停止すべきだとの意見を伝えました。GEの上司にも伝えました」

【解説】:しかし、東電はマークI型の原子炉を停止することはできませんでした。

【テロップ】:元東京電力副社長 豊田正敏さん

[元東京電力副社長 豊田正敏]:「一番の目的はやっぱり新しいものを、材料も、それから設備も、標準化すればですね、予備も共通で持てるとかね。それから、安全審査なんかも、一回で済ませ(られ)るわけですよね。あと右へならえで。安全審査期間も短縮できるわけですよ。まぁ、そういうメリットはありますよ。だけど、既設のものについては、やることはやりますけれども、100%やりません、ということはあります」[◆註:37]

[◆註:37]ここの豊田正敏氏の発言も解りづらい。豊田正敏が発言する前に、NHK記者が、豊田氏に発した質問内容が解らないので、如何なる質問に対して、豊田氏が答えているのかが不明なので、回答の意味も不明な点が多い。
 おそらく「電力会社が稼働率の高い新しい型の原発を導入することの利点は?」とNHK記者が質問したのであろう。もしそうだとすれば豊田氏のここでの回答の前半部は、つじつまが合う。しかし、もしそうだとすると、回答の後半部が問題発言になる!

 後半部で豊田氏はキッパリと、「既設のものについては、やることはやりますけれども、100%やりません、ということはあります」と断言している。「100%やりません、ということはありません」ではなく、「100%やりません、ということはあります」と言っている!ということは、既設の耐用年数の古くなった原発に関しては、「安全審査や点検、整備、修理を100%(=全く)しない事はあった」という発言であろうか?この箇所が豊田氏の言い間違い、勘違い発言ではなく、正しい発言だとすれば重大な発言。

[元東京電力副社長 豊田正敏]:「それを福島第一(原発)・福島第二(原発)とか、4号機までのものにやれといっても、それはできませんということでね。[◆註:38]」

[◆註:38]豊田正敏氏が言う「それを・・やれと言っても」の「それ」とは一体何のことなのか?耐用年数が大幅に経過した古い型の原子炉を、改良標準化型の新型の原子炉に置き換えることなのか?それとも、 デール・ブライデンボウ氏が望んでいたマークI型の原子炉を停止させることなのか?あるいは、上述のような、安全審査や点検、整備、修理、定検作業のことなのか?意味不明。豊田氏の発言の真意がどうあれ、福島第一原発を始めとする、老朽化した原子炉は、何ら改良されることなく放置され続けたことは、豊田氏の以上の発言から明らか。

【解説】:1984年、改良標準化で急増を続けていた原子炉への投資は、下降に転じます。代わって増加したのが、核燃料サイクルへの資金投入でした。

【画面】:原子力関連メーカーの研究投資額(原子炉関係)
1972年(60億円)~1984年(350億円)まで急増したグラフ線が、1984年の350億円をピークに1997年の130億円までに降下。
同時にこの折れ線グラフに重ねて、核燃料関係の研究投資額(赤の折れ線グラフで表示)が、1972年の25億円)から、1997年の275億円へと急増。
(縦軸に投入資金額。横軸に1972年~1995年までの年代。出典:原子力産業実態調査報告)

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【解説】:島村研究会は、その予算配分の変化について触れています。その時、国の原子力政策に大きな方針転換があったといいます。

【テロップ】:元四国電力幹部

[元四国電力幹部]:「電力会社も、相当長年にわたって、ずいぶん(改良を)続けてきたんですよ。で、一渡りもう、軽水炉の方はいいなと言い出したのは、今から何年くらい前でしょうかね・・7から8年前でしょうか?それくらいになると(研究投資額が)減ってきましてね」[◆註:39]

[◆註:39]この元四国電力幹部の発言は1991年夏であるから、それから7から8年前は、1984年か、1983年ということになり、上述にも解説のあった「1984年、改良標準化で急増を続けていた原子炉への投資は、1984年以降、下降に転じます。代わって増加したのが、核燃料サイクルへの資金投入でした」の1984年ともピッタリ一致する!

[元四国電力幹部]:「それで、次は再処理の問題だというので、再処理の方へお金がずっと流れ始めたような記憶があるんですけれどねぇ・・。いっぺんそこをトレースしてみると、二度目の軽水炉への援助は、ある一定のとこまで行って、また落ちているんですよ。その電力の援助もね」

【画面】:「谷口氏 008」のラベルのカセット・テープ

【テロップ】:通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕]:「今のそのプルトニウムの技術を中心にしたですね、核燃料サイクルの確率っていうあたりも、それについての国際的なアクセプタンスをどう得ていくかという、こんな経済的に引き合わなくて、政治的には、最近(国際社会の各国の)みんなが日本に警戒心を高めている中で[◆註:40]、うまくいくわけがないんじゃないか、という心配をですね、非常にしているというのが、率直なところです」

[◆註:40]核分裂を起こさないウラン238は、炉心内では中性子を吸収し、プルトニウム239の超ウラン元素に変換する。このプルトニウム239はウラン235同様、核分裂をするので、これを核燃料として利用するのが増殖炉である。通常のウラン235に純度7%~13%のプルトニウム239を混合したのが、いわゆるMOX燃料。

 しかし、核兵器の核弾頭用としては90%以上の高純度プルトニウムが必要。1994年5月に「日本の動力炉・核燃料開発公団(動燃)東海工場で5年半で約70キロのプルトニウム大量残留があったことを IAEA に注意された。更に、日本の「もんじゅ」にも、停
止するまでの1年半の間に濃縮度96%以上のプルトニウム239がおよそ60kg程、ブランケット部に貯まっていると言われる。現在の核爆弾技術では小型核弾頭一発に、96%以上の高純度のプルトニウム7キログラム~9キログラムがあれば製造可能。我が国は核弾頭に装備できる96%以上の高純度プルトニウムを7~8発分を保有している。これが米国でさえ、我が国に警戒の目を光らせる理由である。

 我が国政府は、プルトニウム240などの不純物を混ぜることで軍事転用への懸念を回避したかどうかさえ、未だに国内外に明らかにしてきていない。ちなみに、プルトニウムは核兵器の原料となる危険があり、米国のカーター政権が高速増殖炉から撤退することを決めたのも、日本が典型的であるように、プルトニウムの拡散防止が理由の一つであった。

(6)につづく

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by y_csm521 | 2011-11-28 13:14 | 資料・情報・講演


【解説】:その裁量権を認めた司法。原発建設は更に進むかに見えました。

【画面】:日本初の原子力船「むつ MUTSU」の進水式の映像

【テロップ】:原子力船「むつ」

【解説】:日本で初めての原子力船「むつ」。

【テロップ】:「むつ」放射線漏れ事故 1974年9月1日

【解説】:この船のトラブルがきっかけで、国の原子力政策が国民から疑問視されるようになります。太平洋上での出力実験中に、放射線漏れを起こしたのです。基本設計の安全性を審査した科学技術庁と、船の建造を管轄する運輸省が、責任を押し付け合ったため、非難の声があがりました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1992年

【解説】:島村原子力政策研究会。むつの問題に関わった官僚たちが、原子力行政の見直しを迫られたことを語っています。焦点は1956年に設置されて以来、日本の原子力政策を担ってきた原子力委員会のあり方でした。

【テロップ】:元通称産業省官僚 島村武久

[元通称産業省官僚 島村武久]:「原子力船「むつ」の放射線漏れが1974年9月1日にあったわけですけれど、これが直接の動機だったことには間違いはないんですが、それまでに原子力発電所でいろいろ、まぁ・・事故っていうのは変ですけれども、[◆註:27](事故が)あったりとか・・あるいは、分析研究(放射線の研究所)の問題もありましたね。なんだかんだという、いわゆる不祥事みたいなものが相次いで起こったと・・。これも「むつ」で頂点に達したということだと私は思うのですよ」

[◆註:27]原子力推進関係者の間では「事故」の言葉は敢えて使わず、「事象」という言葉に置き換えられて表現されている。

【テロップ】:科学技術庁官僚 沖村憲樹
[科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「原子力委員会に対する批判といたしまして、まず原子力行政の責任体制が不明確であるということが批判の大きなものであると。それからもうひとつは、規制と推進が同じ組織で行われているということに対しまして、国民の間で不信感が起きているんじゃないかと・・」[◆註:28]

[◆註:28]「規制と推進が同じ組織で行われていることに対し国民の間で不信感が起きている」というのは、原子力委員会が原発を推進しながら、安全審査等規制にも係わる役割も担っていたことを指す。

【テロップ】:原子力委員会 開発 規制

【解説】:当時の原子力員会は、原発を推進しながら、安全審査等、規制に係わる役割も担ってきました。このことが問題とされたのです。

【テロップ】:科学技術庁官僚 沖村憲樹

【画面】:「沖村憲樹 028」のラベルの貼られたカセットテープの画面

[科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「当時はエネルギー問題がですねぇ、非常に、まぁ、重要な問題ということで、石油が足らなくなるっていうことで、原子力に非常にシフトしなければいかんという議論があったわけなんですけれども。一方におきまして、まぁ・・あの・・不安・・国民の不安ということから、(原発の)立地がなかなか進まないということで、これをまぁ、進めるためには・・・・行政機構全体を一回、いじってみなきゃいけないんじゃないかっていうようなことも、背景にあったんじゃないかというふうに思いました。要するに行政全体を見直す委員会をつくらなきゃいかんっていうのは、なんとなく大きな世論みたいな感じだったというふうに記憶しておりますけれども」

【テロップ】:原子力行政懇談会 1975年

【解説】:1975年、政府は原子力行政懇談会を設置。有識者に原子力行政のあり方を議論してもらいました。そこで出されたのが原子力行政を規制する強力な組織、原子力規制委員会を求める意見でした。

【画面】:11555
UNITED STATES
NUCLEAR
REGULATORY
COMMISSION
と書かれたビルの標識

【テロップ】:アメリカ原子力規制委員会(NRC)

【解説】:参考とされたのは、アメリカで行われた改革でした。



【テロップ】:アメリカ原子力規制委員会(NRC)→規制→原子力事業者

【解説】:アメリカでは強力な権限を持って、原子力関係機関の規制に当たるNRC、原子力規制委員会が作られていました。ところが(1975年に開催された我が国の原子力行政の)懇談会の事務局を勤めた沖村憲樹さんによれば、アメリカのような組織を作ることには、反対意見が多かったといいます。

【テロップ】:元科学技術庁官僚 沖村憲樹さん

[元科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「やはり規制だけを集中的に考える機構はですね、原子力開発の根幹である炉の設置許可とか、運転とかを全部握るわけですよね・・そういうことで原子力の開発が旨くいくんだろうか・・っていう意見[◆註:29]が、随分寄せられました。

[◆註:29]こうした意見を寄せたのは一体誰なのか?

[元科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「非常に反対意見が根強くってですね。はっきりおっしゃる方、はっきりおっしゃらない方も含めて、やはり、あの・・アメリカ型の規制委員会っていうのはですね、日本の原子力開発の将来に懸念がある、って言うので反対意見だったというふうに思っています」

【解説】:1976年7月、原子力行政懇談会は最終の取りまとめを、元三木首相に提出します。これを受け、原子力委員会を分割し、新たに原子力安全委員会を発足させます。

【画面】:科学技術庁
科学技術会議
原子力委員会
宇宙開発委員会
原子力安全委員会
の標識

【解説】:規模はアメリカNRCの僅か10分の1程度。権限も限られていました。

【テロップ】:原子力安全委員会→助言・提言→監督官庁(経済産業省・文部科学省など)→規制→原子力事業者

【解説】:電力会社などを指導する場合には、意見を述べるだけに留まり、直接、支持、命令する権限はありません。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1992年

[発言者不明]:「ちょうどあの時でしたからね。アメリカが二つに分かれたでしょう」

【テロップ】:元日本原電 板倉哲郎

[元日本原電 板倉哲郎]:「アメリカもね、失敗はしたと思っているところは多いんですね。あれでもう、さっぱり開発がなくなりましたからね」

[発言者不明]:「ううん・・もう開発がなくなりましたからね」



[元科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「結果的に15年経ってみても、原子力の反対も安全委員会が吸収してですね、原子力発電も滞りながらも、まぁ、スムーズにいってますので、この体制も、まぁ、結果的にはよかったのではないかというような気がしますけど」

【テロップ】:元日本原子力研究所職員 佐藤一男さん

【解説】:早くから原子炉の安全運転に取り組んできた佐藤一男さんは、新しくできた原子力安全委員会で仕事をするようになりました。

[元日本原子力研究所職員 佐藤一男:「安全なんていうことを口にするな、と・・・。安全の研究なんかとんでもないと・・。そんなものはね、国民を不安に陥れるだけじゃないかと・・・と言うんでね。そういう風潮がわりと強かったんですよ、ええ・・・。あの・・で、だからね、安全性なんてことを銘打った研究はね、まず、とても死ぬまで日の目を見ないですよ、そんなことは・・ええ・・。そういう時代がだいぶ続いていたんですよ」

[NHK記者の質問]:「それで?安全のことを言ったらどうなるんですか?」

[元日本原子力研究所職員 佐藤一男:「そりゃ・・村八分だからね。言うなれば・・。誰も相手にしなくなっちゃうんだから・・」

[NHK記者の質問]:「どこから村八分にされちゃうんですか?」

[元日本原子力研究所職員 佐藤一男:「だから原子力ムラからですよ・・ワハハ・・いやねぇ・・村八分って言うのは、まぁ、単なる表現ですが、あの・・そんなことを言う人はねぇ・・仲間外れにされちゃいますから・・」

【解説】:100万分の1という大事故発生の確率。原発は限りなく安全だという考え方に疑問を抱くことをタブーとする暗黙の了解が定着しつつありました。そんな矢先でした。

【テロップ】:スリーマイル島原発事故 1979年3月28日

【解説】1979年3月28日早朝、アメリカ、スリーマイル島原発で安全装置ECCSが停止し炉心溶融事故が起きました。原子炉からは大量の放射能が大気中に放出され、数万人の住民が町から非難する事態となりました。

【テロップ】:スリーマイル島原発事故に関する学術シンポジウム 1979年11月26日

【解説】:アメリカで起きた事故は日本の研究者を動揺させました。スリーマイル島の事故を受け、これまで原子力政策に協力してきた研究者たちは、事故を検証するシンポジウムを開きました。しかし、原発の危険性を訴える研究者たちが排除されようとしたため、激しい対立となりました。スリーマイル島原発事故の直後、伊方原発訴訟の控訴審が高松高等裁判所で始まりました。

【テロップ】:原告側準備書面

【解説】:原告側は、国が立地審査の際には、想定していない、想定不適当事故だとしていたメルトダウン事故が起きた以上、原発許可は無効だと、改めて訴えました。

【テロップ】:原告側証人 藤本陽一

[原告側証人 藤本陽一]:「スリーマイル島原の原子力発電所で起こった事故は、論争の経過を言えば、"想定不適当"な事故に属するものでございます。スリーマイル島の事故で出ている放射能は、伊方の安全審査のときの最悪の仮想事故の数字を上回る量で、数十倍に達する量が出たわけです」

【テロップ】:国側証人 佐藤一男

【解説】:二審で国側証人に立ったのは、佐藤一男さん、たった一人でした。
[国側証人 佐藤一男]:「運転員と呼んでよろしいかと思いますが、この人たちの誤った判断に基づく行動によると思います。それが決定的な要因でございます」[◆註:30]

[◆註:30]スリーマイル島原発事故の原因が、同発電所原子炉の運転員の「人為的ミス」が事故原因であったとの、国側証人佐藤一男氏のこの証言を松山高裁判事たちはどう評価したのか?100万分の1という確率の事故を想定することは、想定不適当事故であるとした、一審判決の判断根拠の中に、人為的ミスも含まれていたのか?それとも人為的ミス(いわゆるヒューマン・エラー)は一切考慮されず、設計工学上での事故の発生確率だけに基づいただけの「想定不的確」の判決であったのか?一審も含め二審以降の判決を下した判事たちの判断内容、彼らの思想内容も含め、改めて再検証されねばならない。

[国側証人 佐藤一男]:「従って、その設計そのものが直接の決定的要因になっているということではございません」

【テロップ】:「国側証人 佐藤一男」「原告側弁護士 仲田隆明」

【解説】:原告側は、一審で、国側が起こることはないとしたメルトダウンが現実に起きたことを問い質します。

【テロップ】:原告側弁護士 仲田隆明

[原告側弁護士 仲田隆明]:「メルトダウンにより、圧力容器が割れたら、放射性物質が全部外へ出てしまいますね。大変なことになりますね」。

[国側証人 佐藤一男]:「はい」

[原告側弁護士 仲田隆明]:「国のほうでは、いや、それは破損することはない、という前提に立ってますね?」

[国側証人 佐藤一男]:「はい」

[原告側弁護士 仲田隆明]:「住民のほうからは『圧力容器だって破損しないという保証はないじゃないか』と主張しておった。これはご存じですか?」

[国側証人 佐藤一男]:「私は、直接は目にしていないと思います[◆註:31]。ただ圧力容器が破損するかどうかという問題は、いろいろなところで論じられております」

[◆註:31]ここの佐藤一男の陳述内容は不鮮明で解りずらい。二様に解釈できる。ひとつは「圧力容器の破損した原子炉の現場を、国側証人の佐藤一男氏自身が彼自身の目で直接は見たことが無い」という発言にも受け取れる。

 しかし、この陳述では、原告側弁護士仲田隆明氏の「これはご存じですか?」の問いへの答えになっていないトンチンカンな陳述になってしまう。もうひとつは「住民の誰かが『圧力容器だって破損しないという保証はないじゃないか』と(法廷か法廷外で)語っている姿を、佐藤一男は「直接は目にしていない(目撃したり聴いていない)」という意味なのか?私(諸留)は前者の意味での佐藤一男氏の発言だったと思われるが・・・

[原告側弁護士 仲田隆明]:「圧力容器の破損に対しては、安全装置が無いんだということ、これはいいですね?」

[国側証人 佐藤一男]:「破損そのものに対しては、破損してしまえば、直接にはございません」[◆註:32]

[◆註:32] ここで、国側証人佐藤一男が、「(圧力容器の)破損そのものに対しては、破損してしまえば、直接にはございません」と発言しているのは重要な発言。
福島第1原発1号機~5号機で使われている「Mark I」原子炉の設計者で元GE(ゼネラル・エレクトリック)社社員のデール・ブライデンボー(Dale Bridenbaugh)氏及び、同原発の基本設計士であり、また同原発6号機工事現場監理者でもあった菊地洋一氏自身が『週間現代』4月16日号で以下のような証言を行っている。

・・・「MarkI」が抱えている問題点は、その後の改良である程度は是正された。格納容器にガス放出の為のベント弁(ウエットベント弁とドライベント弁の二種類あり)が取り付けられたのは、ブライデンボー氏の証言から解る通り、設計当初からでなく、アメリカでは1990年頃になって、後から設置されたとの証言がある。従って伊方も福島原発も含め我が国の原子炉では20年以上もベント弁が備わっていない状態で「安全基準を満たしている」との政府や東京電力の「お墨付き」の「安全神話」で擬装させ国民を欺し続けてきていたことがブライデンボー氏の証言から明らかにされている。

 アメリカでは1980年代後半になって、彼の訴えの一部が認められ、圧力を逃すガス放出弁を取り付けることが義務づけられ、1990年頃にアメリカ国内のすべての「MarkⅠ」に、この弁が設置された。「MarkⅠ」オーナーズグループのアドバイスは東京電力や福島第1原発にも届いていた筈。しかし実際に福島第一原発など我が国の原子炉へのベント弁設置を、原子力安全委員会が言い始めたのが、1992年以降であった。しかも放射能防塵フィルターは設置さなかった!

(井野博満編/井野博満・後藤政志・瀬川嘉之共著『福島原発事故はなぜ起きたか』79頁。藤原書店2011年参照)

 この伊方原発訴訟の原告が高松高等裁判所に控訴したのが1978年(昭和54年)4月。高松高等裁判所で控訴審が始まったのが1979(昭和54年)年からで、控訴審で請求棄却判決が下ったのが1984年12月。従って、国側証人佐藤一男が正直に証言している通り、伊方原発も含め、その当時の日本国内にはベント弁すら設置されていない状態であった。

[原告側弁護士 仲田隆明]:「日本では破損しない前提で安全審査をしているんですね?」

[国側証人 佐藤一男]:「さようでございます」

【解説】:佐藤(一男)さんは、原発事故発生の確率は、100万分の1という国の主張してきた安全性を、たった一人で背負って争うことになりました。

[国側証人 佐藤一男]:「それはね・・・あの・・誰が言ったのかっていう事になるんすよね、そんなことのね。それでね、住民の方でね。そいういうのは耳障りがいいからね。そっちのほうを、『うん・・・そうか・・』って、思いたくなるんですよね」

[NHK記者の質問]:「国が安全だ、って言っているからですね・・」

[国側証人 佐藤一男]:「あぁ、あぁ・・だって、安全だって言われたほうが安心でしょう、ねっ?だけどね、それはね、そういうことを言っているその人は、本当にそういうことを思ってそう言ったんだろうか?」

[NHK記者の質問]:「それって、どういう事ですか?」

[国側証人 佐藤一男]:「いや、あのね。その場しのぎのことを言ったのかも知れないですよねっ。あるいは、本当にそう思ったんだとしたら、その人はそういう仕事をする資格に欠けていたのかも知れないよね。逆にね。うん。そんなねぇ、いい加減な事で、安全する資格に欠けていたのかもしれないな・・・逆にね。『そんなねぇ、いいかげんなことで、安全を担当していたんですか?』なんて、言いたくなる話でしょう?だからね、そういう話しをね、あの・・・実は非常に後になってね、災いを残すんです。いろんな意味で。あの・・だからねぇ、あの・・そういことを言う人たち、言った人たちっていうのは、もうお亡くなりになったり、死んだりしちゃっているからさぁ、まぁ、いいかもしれないけれど、後継者はひどく苦労するんですよ、ええ・・・」

(5)につづく

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by y_csm521 | 2011-11-28 13:11 | 資料・情報・講演


【テロップ】:伊方原発 核燃料搬入 1976年8月

【解説】:伊方原発では着々と建設が進んでいました。1976年には最初の核燃料が搬入されます。1号炉に続く2号炉の設置許可に対し、住民は不服審査を申し立てました。

【画面】:「行政不服審査にもとづく口頭陳述 13:30-16:00」と書かれた裁判所の標識

[異議申し立てする反対住民の発言]:「事故が起こるは解っちょるのに、我々地元の住民は事故が起きたときは、どないして避難するんか、それを教えて欲しいです・・」

[科学技術庁職員の答弁]:「皆さんが避難をしなければならないような事故は、まず、社会通念的に言えば無い、ということです」

[異議申し立ての反対住民の発言]:(会場から一斉に)「何を言うとるんじゃ・・何が社会通念じゃ・・!」(ヤジと抗議の怒号)

[異議申し立てする反対住民の発言]:「絶対に安全であるということでなければですね、許可すべきものでは無いんではないですか?」

[科学技術庁職員の答弁]:「地元住民の納得が無くては許可出来ない、というような仕組みにはなっていないんです。これは申請がありますと、我々はそれを、法律に基づきまして審査すると言う立場にございますので・・」

[異議申し立てする反対住民の発言]:「もし今の言い方だったら、四国電力は手続きをしたからやりましたが、住民の皆さんのことは知りません・・ということになってしまうんだよ」

[科学技術庁職員の答弁]:「まぁ、申し訳ないですけど、もう時間ですから」

[異議申し立てする反対住民の発言]:(一斉に抗議と避難の怒号)




【画面】:「2号炉岩盤試掘調査」と書かれた看板

【解説】:住民の訴えは却下。2号炉建設は始まりました。この頃、全国の電力会社で作る電気事業連合会は、原発の理解、促進を図るPR活動に力を入れるようになっていました。

【画面】:「原子炉がもしも事故を起こしたとしたら原子力発電所とその周辺はどうなる・・」「原子力発電所から海へ出る放射能はどんな影響を与えるでしょうか」「原子力発電所の安全設計はどこまで信頼できるのでしょうか」
等のタイトルの付いた全国紙掲載の(意見)広告

【解説】:これは全国紙に掲載された広告です。紙面には専門家たちが次々に登場。原子力の可能性、そして安全性を説いていました。

【テロップ】:当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉さん

[当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉]:「新聞の広告っていうのは、彼らには非常に良い収入源だったからね。こぞって、こじ開けてねぇ・・我が社にも、我が社にもっていうふうに言って来られたんで・・・。だから、そういうことから、あの・・各新聞社の人もですねぇ、そんなに、あの・・(原発の安全性に疑問を抱くような)そんなに厳しい記事っていうのは、(新聞各社も)書かれなかったんじゃぁないかなぁ・・」[◆註:19]

[◆註:19]大手全国紙の新聞各社も、広告収入(カネ儲け)優先に走り、原発を推進する電力会社の「露払い」を果たす形で「世論誘導」の役割を担ったことが解るであろう。

【解説】:伊方原発に反対してきた住民たちは、徐々に焦燥感を深めていきました。原告の一人、近藤誠さん。原発反対に対する世間の眼差しが変わっていった、と言います。[◆註:20]

[◆註:20]CIAに正力松太郎を推薦した「プロパガンダの雄」カール・ムント米上院議員や、正力松太郎の懐刀と称された柴田秀利、かれらと連動していたアメリカ中央情報局(CIA)が、1950年代に、既に見抜いていた「日本の新聞とテレビ・ネットワークを最大限用いた、原発推進のための最も効果的な啓蒙プロパガンダ」が見事に効果を見せ始めた。
(NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」参照)
 我が国の一般市民、国民大衆が、その筋の「権威ある」(と思われているに過ぎない)情報に振り回され、流されてしまう傾向があるのは問題。自分自身の頭で、主体的・自主的に、現象の根底にまで遡って思考する力の希薄さをいかにして克服していくかは大きな課題。

【テロップ】:伊方原発訴訟原告 近藤誠さん
[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「あの・・本当に、当時、『そういった農民、漁民ごときが何を言うか』だとか、あるいは、『地域エゴだ・・』とか、『日本中のエネルギーのことも考えずに、これからは原子力の時代なのに、それに棹さす愚かな者たちだ・・』ということで、何処へ行っても跳ねつけられてしまう。住民が話し合いを求めても、その話し合いそのものが拒否されてしまう」

[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「そういう中でね、やはり、賛成だという人間と、反対だという人間の意見を、公平に叩き合わせることが出来る場所というものがね、当時(は)、やっぱり裁判しかないんじゃないかと・・」

【テロップ】:伊方原発 活断層

【画面】:関西以西の日本地図と伊方原発の位置を示す白丸。大阪平野から九州天草諸島付近にまで伸びる黄色線の「中央構造線」。この黄色い線は佐田岬と重なり、その中央部に伊方町[旧三崎町]が位置している

【解説】:提訴から3年、伊方裁判では大地震の可能性についても議論が及びました。この頃、地震の原因となる活断層の存在が注目されるようになっていました。伊方原発の近くには巨大な活断層、中央構造線が走っています。

【画面】:「四国電力(株)伊方発電所の原子炉の設置に係る安全性について 昭和47年11月17日 原子炉安全専門審査会」の表題の冊子

【解説】:これは伊方原発の設置に当たり、国の安全専門審査会が作成した報告書です。
1.3 地震
 過去約1,200年の記録によると、伊方地点周辺に影響をおよぼす地震として、豊後水道および伊予灘を震源とするタイプ-Aの地震と日向灘沖および安芸灘を震源とするタイプ-Bの地震に大別される。
 このうち、日向灘沖の地震活動性は比較的盛んであるがタイプ-Aの地震の地域および安芸灘地域の地震活動性はやや不活発である。A、B2つのタイプの地震による敷地周辺での建物被害の記録はほとんどない。

【解説】:ここでは活断層や中央構造線については触れられていません。何故、安全性に係わる報告書に、活断層や中央構造線について記載が無いのか?原告側は問い質します。

【テロップ】:原告側弁護士 新谷勇人
[原告側弁護士 新谷勇人]:「活断層かどうかということは、非常に大切なことだと思いますけれども。そうじゃないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「それがはっきり活断層として地震を起こす証拠があるならば、それは報告書にとどめるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので、報告書にはとどめておりません」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「本当に調べられたんですか?」




[国側証人 大崎順彦]:「調べられたと思います」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「あなたは正確にはご存じないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「ただ、そういう報告を受けていませんので、そういう事実がなかったものだと思います。もし、はっきりした活断層があるならば、そのことを松田委員らは、私に報告してくれると思いますが・・そういう報告はなかったということです」[◆註:21]

[◆註:21]「報告がなかった」ことが即「そういう事実がない」とは、必ずしも直結しない。ここでは「(確率論的有無も含めての)事実の有無」と「情報伝達の状況如何」の混同がある。
 事実、以下に語られている通り、国側証人大崎順彦氏の証言がウソであったことが証明された!

【解説】:証言記録に名前が登場する松田委員を尋ねました。日本の活断層研究の第一人者で、当時、国の調査に当たった松田時彦さんです。

【テロップ】:当時原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦さん

[NHK記者の質問]:「ここに地震を起こす証拠があるならば、活断層として。それを報告書に留めるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので・・」

[当時 原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦]:「あぁ・・それは・・あぁ・・それはウソですよ。それは・・ひどいですねぇ・・。あの、われわれが、周りの方が飽き飽きする程、あんなに時間を要したのは、なかなか中央構造線、あれが活断層であるっていうことを(証明する)その為に時間を取っていたのに・・。そのことが無かったと・・」
(絶句する松田時彦氏)

【テロップ】:「地質学論集」第12号

【解説】:当時、松田さんが作成した活断層の地図です。伊方近くには、活断層の存在が推定できるとしています。

【画面】:今治から佐田岬を経て豊後水道から大分県の臼杵にまで伸びる、活断層が赤の実線、及び赤の破線で書き込まれた愛媛県西部から大分県東部の白地図

【解説】:地震の可能性に触れる報告は、何故か封印されていました。後半の終盤になって、関係者に衝撃を与える出来事が起きます。裁判長が突然、移動になったのです。証人調べの殆どに立ち会い、現地にも足を運んでいた判事です。[◆註:22]

[◆註:22]政府の息のかかった司法当局(最高裁)による政治的左遷人事。こうした判事の移動は珍しくない。1959年3月30日の東京地方裁判所裁判長判事伊達秋雄の下した「駐留在日米軍は違憲」の東京地裁判決(いわゆる伊達判決)を、検察の飛越上告を受けた最高裁大法廷判決(裁判長・田中耕太郎最高裁長官)が同年12月16日、「駐留在日米軍は合憲」の逆転判決を下した際も、最高裁判事の「総入れ替え」が行われたことを彷彿とさせる。

 この最高裁の砂川判決でも、忘れてならないことは、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限りその内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とする、いわゆる「統治行為論」を法理論として適用し。原判決破棄し、地裁へ差し戻した点である。
(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)

【テロップ】:伊方原発訴訟一審判決 1978年4月25日

【解説】:1978年4月25日。松山地裁。伊方原発訴訟の判決の日です。提訴から4年、原発の安全性について科学的な論争が繰り広げられてきました。

【テロップ】:原告らの請求を棄却する
[松山地裁裁判長]:「原告らの請求を棄却する」

【解説】:万一の事故の場合でも、住民の安全は維持出来るとし、原発設置許可の取り消しを求める住民たちの要求は退けられました。更に判決では、原発の設置を誰が決めるのかまで、踏み込んでいます。

[松山地裁裁判長]:「原子炉の安全性の判断には、特に高度の専門的知識が必要であること。原子炉の設置は、国の高度の政策的判断と密接に関連することから、原子炉の設置許可は、周辺住民との関係でも、国の裁量行為に属するものと考えられる」[◆註:23]

[◆註:23]「砂川裁判最高裁判決」での「統治行為論」の、まさに再現!「原発版・統治行為論」である。
http://www.asyura2.com/11/senkyo113/msg/205.html

 この後、伊方原発の2号機増設許可取消提訴(2号機訴訟)も、2000年12月15日の松山地裁豊永多門裁判長によって、許可の違法性は否定され、原告住民の請求棄却判決を下した。(原発訴訟史上初めて国の安全審査の問題点を指摘したという僅かな"おまけ"はあったが)
 これら一連の伊方原発訴訟判決により、国の設置は絶対であり、地元が将来被りうる可能性のある人身被害、経済的被害は全く考慮する必要は無しとされた。この伊方原発訴訟以後、原発訴訟では原告勝訴の例がない。

【画面】:「辛酸入佳境」[◆註:24]の旗を持った敗訴した原告側の人々の姿

[◆註:24]足尾鉱山鉱毒事件で東奔西走した故田中正造が残した言葉。「何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、苦労もかえってよろこびとなる」の意。

【解説】:裁量行為。つまり原発の設置許可は住民の合意に拘わらず、国の判断で行えるとするものでした。

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良さん

[原告側弁護団長 藤田一良]:「あの・・専門家裁量と・・・ねぇ・・・だけど、そんな事ねぇ・・科学的な専門家がどうして、人のいのちとか財産とかを、そういうようなものを巻き込んで起こるような事故の審査をする(というような)ときに、その連中が裁量出来るっていうものは、どこ探しても、そういうようなものは、どこにもありません。世界中ないです。

【解説】:一方、国側の証人村主進さんは、そもそも原発の安全性を法廷で争う事自体、疑問を感じていた、と言います。

【テロップ】:国側証人 村主進さん

[国側証人 村主進]:「伊方裁判について。僕は、裁判する問題じゃないと思うんですよ。それを裁判で、良い、悪い、を言うべき問題じゃないと僕は思っているんですけどね。争う場はですね、やっぱしその・・何ですよ、論文で、その・・・ちゃんと書いたものを残して、それで、そのこれはこうだ、あれはああだって・・あんたの主張はここがおかしいんじゃないかって・・こんだ、こちら側は、こういう考え方で、こう主張しているんだって・・そういうことで、噛み合わせればね、自然現象っていうもん、科学っていうものは一点に収束するんですよ。

【テロップ】:愛媛県 伊方町

【解説】:判決が出た時、伊方原発は既に運転を開始していました。

【解説】:地元には、深い対立だけが残されました。

[NHK記者]:「おはようございます。宜しくお願いします。こんにちは」。

[伊方町住民 松田文治郎氏の家族]:「はい、はい。おはようございます」

【解説】:伊方町で原発推進派だった松田文治郎さんです。

[伊方町住民 松田文治郎]:「この地区は反対者が多かったんです。ちょうど、ここが、ぶおう(?)部落という部落じゃったんです。ところが、私の叔父とか従兄弟とかの親戚関係は、もう、ほとんど反対だったんです。

[松田文治郎氏の奥さん]:「うん。反対だった。やっぱりいろいろな考えの人が・・」

[伊方町住民 松田文治郎]:「親父が賛成で、息子のげぞう(?)が『町のためにならん。妙なもの作るってる・・』っていうようなこと言いましてね、えらい批判の・・何を言ってましたよ」

【解説】:原発建設に反対した大沢肇さんです。

【テロップ】:伊方町住民 大沢肇さん

[伊方町住民 大沢肇]:「わしんところには1000万円もろてやるけん、原発反対やめよ・・って言うてきた人あります。その人ん名は言われんけんどなぁ・・じゃけんど、私は『俺ぁ、カネで動くような人間じゃないわい!』って言うて、わっと断りましたけんど・・・」

[NHK記者の質問]:「それはカネより大切なものがあると思うから(ですか)・・?」

[伊方町住民 大沢肇]:「はい・・」

[NHK記者の質問]:「それは何ですか?」

[伊方町住民 大沢肇]:「・・・カネたっていうようなもんではない・・そりゃぁいのちよ・・」

[NHK記者の質問]:「うん・・」

[伊方町住民 大沢肇]:「ひとのいのちより大事なもんはないもの・・」[◆註:25]

[◆註:25]蝉時雨の中で、口ごもりながら、ポツン、ポツンと、つぶやき語る大沢肇氏の言葉の奥にあるものを感じ取って欲しい。遠く先祖から伝えられてきた、ふるさとの海や山を守りはぐくんできた貧しい佐田崎の一寒村(旧三崎町)の一老人の、いのちの叫びを、私たちは再度聴き取る必要がある。

【テロップ】:茨城県 東海村

【解説】:日本で最初に原発を受け入れた茨城県東海村。原子力関係の施設が多く集まっています。村上村長村上達也さんは、若い頃から変わっていく村の姿を見てきました。

【テロップ】:東海村村長村上達也さん

[東海村村長村上達也]:「いや、まぁ・・原発はだなぁ・・圧倒的な力を持っていますから、そこには皆働いて職を得る、(村の)財源もそこに頼ると・・いうことになりますからねぇ。ものが言えなくなりますよねぇ・・。原発立地市町村、それに対しては(国は)特別待遇をしてくるね、っていう感じの大変な世界だなぁ・・っていう感じがありますよねぇ・・。うん・・そういう面じゃ、いわゆる、こう国に取り込まれている世界だと・・。うん、うん、うん・・国に抱え込まれている世界だなぁ・・っていう感じがしますよねぇ」

【解説】:原発推進を国策として推進する行政。[◆註:26]

[◆註:26]戦前、戦中の満蒙開拓移民国策の戦後版、これが原発推進国策である。昭和農村大恐慌で生活難に喘ぐ貧農を大量に満州、朝鮮へ送り込み、「王道楽土」「五族協和」の旗印を掲げ、満州人や朝鮮人の土地や生命財産を侵略し、奪い尽くし、いのちまでも殺傷して武装開拓移民を送り込んできた満州開拓移民の国家を挙げての国策と、戦後1950年代半ばから始まった国内過疎地での原発建設の一大国策は、ピッタリ重なっている。

かつての「守れ満蒙生命線!」の、国策キャンペーンが、戦後は「守れ原発生命線!」に置き換えられただけだ。こうした国策に酔わされ「王道楽土の新天地」を夢見て、大陸に、満州に、朝鮮へと移住していった開拓移民たちが、昭和農村恐慌の嵐の吹き狂う内地の貧しい貧農生活では得られなかった「快適な生活」は、イコール、現代の原発立地を受け入れ、原発補助金で潤い、原発関連に就職できる生活を享受し、疑問も危険も感じない原発誘致自治体地域住民の「豊かさ感覚」とピッタリ重なっている。

(4)へつづく


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by y_csm521 | 2011-11-28 13:07 | 資料・情報・講演