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COSMOSの原発関連ニュースメモ

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毎日たくさん流れてくる原発関係のニュースの個人的なメモです。

NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後篇)「そして"安全神話"は生まれた」文字起こし(1)


(友人からの転送メールのコピーです。COSMOS)

さきにお送りした諸留さんのNHKETVシリーズ「原発事故への道程」の文字起こし記録と評注の、《後編》を2回にわたってお届けします。

諸留さんは記録を重視し、[◆註]の形で「最低限度」の補足や説明をしていますが、のちほど番組の内容とNHK報道についての全般的な論評を発表する予定です。

======以下、後編(その1)転載======
NHKETVシリーズ 原発事故への道程(後編)「そして"安全神話"は生まれた」[2011年10月23日放映]の「文字起し」です。

 NHKの報道や解説が、明らかな間違いと思われる箇所には、[◆註]の形で、私(諸留)が最低限度の補足や説明を付しました。
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NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後篇)「そして"安全神話"は生まれた」[2011年10月23日放映]
見逃した方は、以下のURLなどご利用下さい。
NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後篇)「そして"安全神話"は生まれた」-------------------------

【テロップ】:2011年3月11日

【解説】:東日本大震災。高さ13メートルの津波に飲み込まれた福島第一原子力発電所は、メルトダウンを引き起こしました。

【テロップ】:撮影 東京電力

【映像】:福島第一原発事故の地上から撮影した光景

【テロップ】:撮影 陸上自衛隊

【映像】:福島第一原発事故の上空から撮影した光景

【解説】:1号機から4号機で爆発が起き、原子炉建屋が損壊、夥しい放射能を人々の上に撒き散らしました。

【テロップ】:映像提供 東京電力

【映像】:崩壊した原子炉建屋に放水する光景

【テロップ】:マークI型原子炉

【映像】:建設中のマークI型原子炉の光景

【解説】:原発は安全。それははかない神話に過ぎませんでした。実は事故を起こした原子炉マークIは30年以上前から問題点は指摘されていました。

【テロップ】:元アメリカ国立研究所の科学者

[元アメリカ国立研究所の科学者]:「1980年代『マークIを廃止すべきか』真剣に検討しました。特に地震の危険性が高い場所では真剣に考えるべきです」

【解説】:その後、根本的な改良が施されないまま耐用年数が30年を超えて運転され続けていました。何故安全は確保できなかったのか?日本の原子力政策の中枢を担った人々が、非公開で行っていた録音テープが残されていました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会

【テロップ】:元通商産業省官僚

【画面】:「谷口氏 008」の文字ラベルが貼られたカセットテープ画像

[元通商産業省官僚]:「日本は発電所をいかに、その・・クリーンにね、指示書通りに動かすというのは得意ですけれども、発電所の異常状態に対する対応とかね、もっとその大幅な改良改善って言う時には、どこまで日本独自なものがあるかっていうと、これは非常に厳しい問題で・・」

【画面】:元通商産業省官僚 島村武久氏の当時の顔写真

[もう一人別の元通商産業省官僚]:「電力会社はねぇ・・なーんにもできないのかと。検査も、受け入れも・・疑問があるんです。物を買ってね、悪かったから取り替えろ!っていうのは当たり前かもしれないけれど、自分で買ったものを動かしておいて、そしてそれが、自分も気が付かない」

【テロップ】:島村原子力政策研究会

【テロップ】:元東京電力副社長

[元東京電力副社長]:「だから、原子力発電所の場合は、資本費が相当高いんでね。建設費を下げるってことが一番重要なんですよね。だから大いにコストダウン。安全性と信頼性以外に、コストダウンを大いに図ってもらわないとね」

【画面】:「安全第一」「原子力発電所建設工事」

「四国電力」「株式会社奥村組」の原発建設工事現場の立て看板の画像

【解説】:日本の原子力発電の弱点を知りながら、変革をなし得なかった関係者。彼らのスタンスを決定づける一つの法廷闘争がありました。

【テロップ】:伊方原発訴訟

【解説】:今から38年前に始まった愛媛県伊方原発の設置を巡る裁判です。裁判は原告住民側と、被告国側の双方に、証人として科学者が立ち、安全とは何かを巡り、大論争を繰り広げました。

【画面】:「伊方原発行政訴訟 S50.10.23 第9回口頭弁論 証人報告(藤本陽一 その1)」の手書き表題のある分厚いA4ファイル書類1冊の画像

【テロップ】:原告側証人

【解説】:(原告側証人発言を解説者が代読)「起こりうる最悪の事故として炉心の溶融・メルトダウンを考えるべきではないか」

【解説】:(国側証人発言を解説者が代読)「起こる確率が百万分の一よりも小さい事故は想定する必要はない」[◆註:01]

[◆註:01]「確率が低いから」というだけで問題無しとして良いのか?低い確率でも、万一事故になれば大惨事になるから無視すべきでない」との立場を選ぶのか?この問題は科学的判断だけでは決定出来ない問題。米国人核物理学者で原発推進論者であったワインバーグでさえも1970年代(今から40年以上も前)に「科学の領域」だけでは処理出来ない「価値の領域」もあることを明確に認識し、指摘していた。

【解説】:原発を巡る日本初の科学裁判。そこには福島の事故で浮き彫りになる問題が、出揃っていました。福島原発事故に至るまでの歴史的経緯を探る2回シリーズ。後篇の今日は、原発の大量建設の始まった1970年代から、現在までを探ります。

【テロップ】:シリーズ 原発事故への道程(後編)そして"安全神話"は生まれた

【テロップ】:日本万国博覧会 開幕 1970年3月14日

【解説】:1970年に開催された日本万国博覧会。技術の進歩がもたらす未来の姿を、一目見ようと6400万人が訪れました。

【テロップ】:"原子の灯"

【解説】:万博の呼び物の一つが原子の灯です。会場には原子力発電所で発電された電気が届けられました。

【テロップ】:日本原子力発電 敦賀発電所

【解説】:万博の会場に電気を送った敦賀原発です。

【テロップ】:語り 広瀬修子

【解説】:万博と同じ日に、東海原発に次ぐ日本で2基目の商業用原発として、運転を開始しました。敦賀原発はアメリカから最先端の原子炉を輸入して造られました。敦賀原発の運転を軌道に乗せる責任者だった、浜崎一成さんです

【テロップ】:当時 日本原子力発電 社員 浜崎一成さん

【解説】:華やかさよりも、むしろ苦難の思い出が多いと言います。

[当時 日本原子力発電 社員 浜崎一成]:「原子炉をね、軽水炉をアメリカから入れる(輸入する)時は、いわゆる「プルーブン・テクノロジー(proven possibility)」と
言われる、まぁ、表題があったわけなんですね。この「プルーブン・テクノロジー」って言うのはですね、すべてもう実証済みの技術だよ・・っていう事でね。それで、我々も、もうその積もりでいたら、実際には、なかなかそうはいかなかったんですね。これは困ったなぁ・・と、(例えば)さっきも説明した廃棄物の処理の問題とかですね、それは要するに、処理能力がもう足りないわけなんですよね。それから、設備の中でも、配管の応力・腐食割れの可能性とか、それから燃料の性能が落ちる、要するに鉄錆等の・・・そういうものを減らす為に・・って言うんで、もの凄く努力しましてね」

【テロップ】:日本原子力研究開発機構(茨城 東海村)

【解説】:当時はまだ、原発の安全性について注目する人はほとんどいませんでした。そんな中、原発の安全性について研究を始めた人がいます。

【テロップ】:当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん




【解説】:佐藤一男さん。後に原子力安全委員会の委員長を務めた研究者です。

[当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん]:「それはまぁねぇ・・・例えて言えば(の話)だが、日本でも、いや、世界でもそうなんだけど、自動車がね、初めて世の中で動き始めた頃に、交通安全なんてことを言う人がいましたか?」

[当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん]:「安全っていうのは、それ自身がね、その組織やら装置の目標じゃないんです。たとえば発電所っていうのは電気を起こすのが目的なんですよね。それで、安全って言うのは、その施設の一番レベルの高い、最高に重要な属性なんですよね。それが安全っていうものなんですよね」

【テロップ】:関西電力 美浜発電所

【解説】:1970年。関西電力の美浜原発が運転を開始します。民間の電力会社が単独で運転する初の原発でした。

【テロップ】:東京電力 福島第一原子力発電所

【解説】:翌年には、東京電力が福島第一原発の運転を開始します。どちらもアメリカのメーカーからプラント全体を完成品として購入する、ターン・キー契約で造られました。

【テロップ】:ターン・キー契約

【画面】:「日本 ハイペースで伸びる原子力発電」の新聞のタイトル記事

【解説】:外国から輸入すれば素早く原発が造れる。今後20年間で117基の原発が稼働するようなる、という予測さえなされました。

【テロップ】:東京 新橋

【解説】:この時代の日本の原子力の歩みについて、原子力政策の中枢を担った人々が、非公開の会合で振り返っていたことが解りました。

【テロップ】:元通商産業省官僚 島村武久

【解説】:原子力政策研究会。主催者は元通商産業省官僚島村武久です。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【解説】:会合では、ようやく独り立ちした原子力行界の心許なさについて、話し合われています。

【テロップ】:元通商産業省官僚 島村武久

[元通商産業省官僚 島村武久]:「大きな方向というものがない。どこにも。電力会社は将来をどういう風に思っておるのか、その辺もはっきりしないし、メーカーさんも言われれば造るというだけでね・・なんとか良い物を造るということには間違いはないんだけれども。こういうふうにして、こういう方向に進むべきだ、というふうな意見が、日本のメーカーからは出てこないんですね。政府もまた、原子力委員会が基本計画を立てるということになっているけれども、従来決まっておるもののやつの中にですね、その後の情勢の変化を、少し加味するぐらいの程度でしてね。抜本的な事を考える事態にないでしょう。そう言う状況じゃないですかな」

[日本原子力研究所研究員]:「昭和35年ころまでに米国で言ってくるんだけど、それまでにそんな大したことやっているとは思えないんですよね。それで、出来た技術で、そのままになっている部分が結構あって、最初設計して、これでうまくいってるからということで、基本が解明されていない部分が、まだ残っているじゃないですかね。それが全部かどうかは解りませんけれど。そういうものを全部、もう一回見直して、そこの中から研究テーマを探すような事をしないと・・。『原子力には研究テーマはないんだ』と言う話も、ちらちら聞こえてくるんで。なんかそこいらが・・・。ただ問題は、そういうことを言い出すと、『今更そんなことが解っていなくって何をしているんだ』と、叱られるのが非常に怖いから、誰もよう言い出せないというのが、残っているんじゃないですかね?」

【解説】:しかし、当時の日本では原子力発電への期待が膨らむ一方でした。高度経済成長のただ中にあった日本。経済大国に向かって躍進し、電力需要は毎年10%の勢いで、伸び続けていました。一方、この時代は、都市と農村の経済格差が広がり、過疎に悩む地方が生まれていました[◆註:02]。そこへ、一人の政治家が登場します。

[◆註:02]1950年代後半から日本経済の高速成長により農工間の所得格差と過疎過密が進行した。「日本農業の曲がり角」と称され、農業政策が見直され、農業基本法に基づく農業構造改善計画が始動したこの時期が、原発の過疎地への建設の開始した時期とピッタリ重なっているのは偶然ではない。我が国の工業と農業が裏と表の関係で連動し、工業産業や大規模専業農家育成を優先させ、零細小規模農家の切り捨てを進めた農業政策の失敗が、全国僻地での原発進出の「誘い水」となった。

【テロップ】:日本列島改造論を訴える 田中角栄(元)首相

[田中角栄 元首相]:「まだまだ日本には土地が沢山ありますよ!周りに少しは緑のある所を、足りない所はどうするんですか?そこで日本列島改造というのが出てくるんですよ」

【解説】:田中角栄総理大臣。田中は原発の地方への立地を、国策として進めました。1974年6月、原発立地を押し押し進める3つの法律が制定されます。

【テロップ】:電源三法「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」

【解説】:電源三法は原発を受け入れる自治体に補助金を交付することで立地を促進するものでした。

【解説】:成長に取り残された地方に原発を作り、経済格差を縮小させる。同時に電力の安定供給を確保しようとしたのです。[◆註:03]

[◆註:03]「電力(エネルギー)の確保」が即「原発の確保」という結論には直結しない。論理の飛躍が見られる。

[田中角栄 元首相]:「列島改造論というのは、田中角栄の著書でございます。しかし、今国会で御審議頂いておるものは、方向は同じでございますが、国土総合開発法の改正案でございます。

【テロップ】:原子炉立地審査指針

【画面】:第16回原子力委員会定例会議 昭和39年5月27日 於委員会会議室
議題
I 審査事項
 1.原子炉立地審査指針について
 2.再処理施設安全審査専門部会の設置について
 3.昭和40年度原子力予算の処理について
II報告事項
・・・・・
と手書き綴じ込みの書類の第一頁の映像

【画面】:上記画面の書類の2頁目の拡大映像(2頁右上段に「第16回委員会 資料1号」の青色ゴム印付)
原子炉立地審査指針およびその適用に関する判断のめやすについて
昭和39年5月27日
原子力委員会

 委員会は、昭和33年4月原子炉安全基準専門部会を設け、原子炉施設の安全性について科学技術的基準の制定をはかってきたところ、昭和38年11月2日同部会から、陸上に定置する原子炉に対する立地基準の前段階としての原子炉立地審査指針に関する報告書の提出を受けた。
 本委員会は、同報告書を検討の上、別紙の通り原子炉立地審査指針を定めるとともに、当該指針を適用する際に必要な放射線量等に関する暫定的な判断のめやすを別紙2のとおり定める。

【画面】:次の3条件が満たされて・・・
2.1.原子炉の範囲は、原子炉からある距離の範囲
非居住区域であること。
2.2.原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側地帯は、低人口地帯であること。
 ここにいう「ある距離の範囲」としては、仮想事故の場合、何らの措置も講じなければ、その範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし、「低人口地帯」とは、著しい放射線被害を与えないために、適切な措置を講じうる環境・・・の地帯(例えば人口密度の低い地帯)をいうものである。

【解説】:これはどのような場所に原発を建設して良いのか。条件を国が定めた原子炉立地審査指針です。人が住んでいない非居住区域であること。その外側も人口の少ない地域であること。指針に従えば原発立地に適合するのは、都市部ではなく、過疎地になります。[◆註:04]

[◆註:04]指針には、原発立地は「過疎地」と定められている。指針の思想は、人口密集地域住民のいのちより、過疎地住民のいのちを軽視する明らかに「少数弱者切り捨ての発想」。
 石川県能登半島先端の珠洲の高屋町に原発立地調査にやって来た関電作業員が、「どうして関西の電力会社が、能登半島のこんな先端まで来て、発電所を作らねばならないのか?」と尋ねた地元の老婆に、「おばあちゃん、人の多い大阪に原発を作って、もしものことがあったら大変なことになるの解るやろ」と答えたという!「珠洲に住んでいる人間をモノのように扱って、それでも人間か!」と烈火のごとく怒った老婆の前で、何に怒っているのか見当もつかず、ただキョトンとしている関西からやって来た企業の若い作業員の姿があった。人間を人間として見ようとせず、モノ扱いにし、原発予定地買収の関西電力社員は「私らは"人の心"を買うんだ」とNHKテレビカメラの前で堂々と語った。
(『いのちを奪う原発』真宗ブックレットNo.9 東本願寺出版部2002年 8頁参照)

【テロップ】:当時 日本原子力発電所社員 板倉哲郎さん

【解説】:指針作りに関わった放射線安全管理の専門家、日本原子力発電所社員 板倉哲郎さんです。

[日本原子力発電所社員 板倉哲郎]:「よく地方の方はね、『田舎の人間よりも都会の人間を大事にして、田舎の人間は放射能を受けていいのか?』・・って(よくそういうことを言いますけど)、そういうような思想じゃないんですね。放射能は受けても、致命的な放射能は受けないようにします。その他に、更にですね、安心していただけるような事後対策が十分できますよ、と言うが為に、人口の多い大都市の真ん中には作らない、というのが一つの思想なんですよね」[◆註:05]

[◆註:05]板倉哲郎氏の言う通り「放射能は受けても致命的な放射能は受けないようにし、その他にも更に、安心できるような事後対策が十分できている」のであるなら、わざわざ過疎地でなくても、人口密集地帯の大都市のド真ん中にでも作れる筈!


(2)へつづく

by y_csm521 | 2011-11-28 13:02 | 資料・情報・講演

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